長い夜が明けた。
ヨミは夜のうちに魔術警吏に連行された。
冷たい空気が漂う、ぼやけた空の下、フィラとリング。それから彩羽とコタローは悲しい目をして立っていた。
「お墓……ここじゃない、別の、もっと景色のいいところに作ってあげたいな」
フィラが言った。
リングが頷いた。
「でも、ジオウは、この研究所が好きでしたから、このまま、ここで眠らせてあげましょう」
フィラは小さく頷いた。
「もう、この研究所は閉鎖になるんだろうか?」
と、彩羽が疑問を口にする。
フィラは、首を傾げた。
「さあ? イルフもさっき出て行ったし。二人だけになっちゃったからね……。でも、ここの持ち主のウーリーは、こういう不祥事も簡単にもみ消せる人だから……。それに、リングもいるし……。こんな天才を簡単に手放すわけ無いと思うの」
「そうか……」
「彩羽は、どうするの?」
フィラと彩羽の目が合った。
彩羽は、少し戸惑ったがなんとか微笑んで答えた。
「どうしようか? でも、もう、ここにいる理由はなくなったから」
フィラの瞳が少し翳る。
「そう……。寂しいけど。行き先が決まるまで、ここにいてもいいからね」
彩羽は小さく頷いて、問いかけた。
「ん。フィラは、大丈夫?」
「え?」
フィラは首を傾げた。彩羽は目を逸らし小さな声で聞いた。
「……好き……だったんだろ? ヨミのこと……」
「過去の話ね」
「えっ?」
フィラは驚いた顔の彩羽に軽く笑いかけ、颯爽と部屋へと戻っていった。彩羽はぽつりと呟く。
「ん〜。過去の話……か。強いよな……女って」
肌寒い風が吹いた。
リングが、ぽつりと口を開く。
「ヨミは、探していたのかもしれませんね。自分を」
「自分?」
彩羽は問い返した。
「ええ。でも、本当の自分ではないんです。本当の自分が薄っぺらだったから、誰にも認められる自分を」
「難しいこと言うんだな」
「そうですか? あなたも探していたんじゃないんですか? それを」
彩羽はどきりとした。
「なっ!」
二人の視線が思わず合った時、リングは、わずかに微笑んで、そのまま去っていった。
「…………」
「ご主人様ぁ」
コタローが、ぼんやりとしている主人に、にじり寄ってきた。
「かっこよかったですよぉ。ヨミに対する最後の台詞」
振り返った彩羽は、コタローに言葉を返した。
「ただの負け惜しみなのにか? リングはかっこよかったけどな」
「いいえ。コタローにとっては、ご主人様が一番かっこいいんです」
コタローが握りこぶしを作り熱をこめてそう言うと、彩羽は苦笑いを浮かべた。
「嬉しくないな」
そんな主人を見つめていたコタローの顔が、ふいに曇りだす。
「……ご主人様は……。続けるんですか? 探偵を……。ご主人様には、辛すぎると」
彩羽は、ゆっくりと、頭を振った。
「俺は……。薄っぺらでも、探偵っていう仮面をつけているときのほうが、なんでもないただの自分でいるときよりは、少し他人と接しやすいんだ。辛くても希望が見える。リングの言葉を借りると、自分が見つかりそうだって、ことかな?」
じっと、主人を見つめていたコタローは、にっこりと笑った。
「そうですね。ご主人様。なんか変わりましたもん」
「そうか?」
強く大きく頷いたコタローは、また主人の顔をじっと見つめて、聞いた。
「あのですね、コタロー、イルフさんのこと見て思ったんです。ご主人様は、復讐とか、考えたこと無いんですか?」
「……復讐……。それよりも俺は、自分を責めたからな」
彩羽は、まぶたを閉じる。
風が運ぶ土の匂いと草の香りは、元いた世界となんら変わらない、同じ匂い……
「帰りたいな……。あの、ぼろアパート『浅き夢』に」
彩羽は、ふと振り返る。コタローがいない。
「あれ? コタロー? ん?」
足元で何かにぶつかった。コタローだ。コタローは何故か横になっている。彩羽は、しゃがみこみコタローを揺すった。
「おい、コタロー! 大丈夫か? ん? って……おい。寝てるのかよ」
コタローは気持ちよさそうな顔して寝息を立てていた。彩羽はため息を吐く。
「はあ。何で、こんなとこで寝るんだよ……。あれ?」
彩羽は、ゆらりと揺れた。
「ああ……なんか……。俺も、眠く……」
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「わんわんわん!」
探偵事務所
「これでよし! ……ふふ。大家が見たらなんて言うかな?」
【探偵事務所】
「わんわんわん!」
「ん〜。うるさいぞぉ。コタロー」
「わんわんわん!」
「はっ!」
彩羽は完全に覚醒して上体を起こした。
「わんわんわん」
隣で犬が鳴いている……栗毛の犬が。
「コタロー?」
犬をじっと見つめていた彩羽は、ぐるりと辺りを見回した。薄暗く小さな日本間。万年床の上。
「戻ってきたのか?」
がたがたがた……。と、北風が、薄く小さな窓を揺らした。
「夢……だったのか?」
首元にそっと手をやる。まだ喉の奥に違和感がある。多分あざも残っているはずだ。
「そうだ。夢なわけねぇ」
ふと、コタローの食べ残しのコンビニ弁当が目に入る。
「なんか、かすかに臭うと思ったら、腐りかけてるのか」
彩羽は、その腐りかけのお弁当をゴミ袋にぶち込み、臭いがもれないように袋を縛る。
「わんわん」
能天気な声で鳴いているコタローを見て、彩羽は思わずため息を漏らす。
「はあ。お前のせいだな。あんな目にあったのは……。でも……」
彩羽はコタローの背中を撫でた。
「たまには、上等な犬缶買って来てやるかな? あの黄色い缶のやつ」
「わん!」
嬉しそうなコタローの声を聞いた彩羽は、少し頬を緩め立ち上がり、ジーンズのポケットに財布が入っていることを確認してから、思い出したかのように押入れの段ボール箱から、太字のマジックペンを取り出す。
「大人しく留守番してろよ、コタロー」
「わん!」
コタローに見送られ、意気揚々とした様子で彩羽は玄関を飛び出した。ひんやりとした晩秋の風が吹く。
彩羽は深呼吸をした後、太字マジックペンのふたを取り、ペンキが剥がれかけたドアに書かれた、細々と小さな字の上に、太く大胆な文字を書いた。
彩羽は誇らしげに探偵事務所のドアをしばらく見つめ、赤く錆びた鉄筋の階段を駆け下りた。そして、彩羽は寒空の下の寂しい町を、鼻歌混じりに駆けていった。
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