IROHA POETRY

イロハ詩

第三章 月


【月】

「今日は、この部屋で寝てもいいかしら?」
「もちろんですよ〜。一人寝は寂しいですもんねぇ」
「よかった。実はね、いろいろお話もしたかったのよ。異世界の話聞きかせてくれるかしら」
 そう言ってラウは、コタローの部屋の小さな椅子に腰掛けた。コタローはベッドに座る。
「ふふ。でも、彩羽って少し変わっているわよね? でも、そこがいいのかしら? 顔はまだ少し幼い気がするけど、端整な顔立ちで」
「! で、でも! ご主人様は、その……欠陥住宅ですよ! 耐震偽造です!」
 何故かコタローは、慌てている。そのせいか妙なことを言い出す。ラウは首を傾げた。
「えっ? なあにそれ?」
 コタローは必死に説明をする。
「えっと、えっと、見た目はいいかもしれませんが、中身は傾いていて、必要な部品が欠けてたり、揺れに弱かったりってことです」
「くすくすくす。その喩え、いまいちよく分からないけど、つまり、やきもちね」
 微笑ましそうコタローを見つめながらラウがそういうとコタローは、ややばつが悪そうな顔をした。
「う〜。で、でも、ご主人様は、本当は、優しい人なんですぅ」
 ラウは頷く。
「分かるわ。わざと悪ぶっているっていうの?」
 コタローは頭を振り、膝に顔を埋めた。
「悪ぶってるんじゃないんです……。ご主人様は、傷つきやすい人だから、普通の若者ぶってるんです」
 コタローは、覚えている。
 冷たい道路の隅で丸まっていた小汚い自分を抱き上げてくれた、あの時のご主人様の温かさと寂しそうな瞳を……
「ご主人様……」

 彩羽はラウの部屋の扉をノックする。
「ラウ。いるか? 聞きたいことがあるんだけど……」
 だが返事がない。
 ラウの部屋は、彩羽に与えられた部屋の左斜め前にあった。
 そんなラウの部屋の両隣にも部屋が一つずつある。 右側の部屋は、ちょうど彩羽が使用している部屋の前にあり、ここは未使用である。左側の部屋は、廊下の突き当たりにありフィラが使用している。
 ついでに彩羽の部屋の隣が、コタローに当てられた部屋で、そのまた隣の突き当たりの部屋はリングが使用している。
 つまり、一階にあるこのエリアには廊下を挟んで左右に三部屋ずつ、全部で六つの部屋があるのである。ちなみに、このすぐ真上にある六つの部屋にはジオウやレックス、死んだヨミの部屋があった。
 彩羽がなんとはなしにラウの部屋の戸の取っ手を握ると、その戸はガチャリと開いた。扉を開けた瞬間、思わず彩羽は呟いた。
「月だ……」
 蝋燭がついていないが窓から覗くその大きな月の明かりで部屋全体がよく見渡せた。
 きちんと整理されたこの部屋の壁に描かれた魔法陣の隣には、魔術医の部屋とだけあって人体解剖図が貼り付けてあった。だがそれ以外は他の魔術師たちとさほど変わらない様子である。
「やっぱり、ラウはいないのか」
 言いながら、彩羽は窓まで歩いていき、そっと、その窓を開けた。
 混じりけのない夜の空気が部屋に流れ込む。
「月って、こっちの世界でも月って言うのかな?」
 まあるい月を見つめる彩羽はふと思い出した。
「そういえば、コタローを拾ったのも月が浮かぶ夜だったな」
 彩羽は窓を閉めそっと離れる。
「いないんじゃ、しょうがないよな」
 そう言って、彩羽はラウの部屋を後にした。

「随分、長いこと話しちゃったわね。もうみんな寝静まっている頃じゃないかしら?」
 と、ラウが、言った。それでコタローは夜も随分と更けていることに気がついた。
「はっ! 本当ですね。お話に夢中になっちゃって」
 コタローは時計を探しているのか、きょろきょろしていたが、この部屋にそんなものは無い。
「そういえば今日もいい天気だったから、月が綺麗だと思うんだけど、この部屋からは見えないのかしら?」
 そう言ってラウは窓に歩み寄った。そして振り返って言う。
「ねえ、コタロー。窓開けてくれない?」
「いいですよ」
 コタローは結界の呪符をはがす。開けた窓から身を乗り出したラウはしばらくしてから、がっかりした声でこう言った。
「だめね、この部屋からじゃ見えない」
「そうですかぁ。残念です。そんなに綺麗なお月様なら見たかったです。コタローはお月様、大好きなんです」
 本当に残念そうにしているコタローにラウは訊ねた。
「そんなに好きなの?」
コタローは嬉しそうに答える。
「はい。だって、コタローが、ご主人様に拾われたのが、お月様の下でしたから」

 ガタガタガタ……
 ガラス窓がゆれている。
 月明かりと蝋燭の灯りとでジオウは、この遅い時間までぶ厚い本を広げて床に魔法陣を描き、何かぶつぶつと言っていた。
「ふむ。ワシの魔力が足りんのか、もしくは魔法陣のどこか一部、刻む文字が違うのかも知れんなぁ。んー。古い魔術書じゃから、判じずらいのぅ」
 ガタガタガタ……
 また、窓がゆれている。
「はて? 今日はさほど、風は強くないはずじゃが?」
 カチャリ……
「?」
 その突然の戸の開く音に、ジオウは首をかしげて振り返った。
 そのジオウの顔は、見る間に真っ青になっていく。
「お……お前……なぜ!」
 驚きと怯えが混ざった声でジオウがそう言ったとき、何かが月明かりをさえぎった。
 部屋に大きな影が出来る。
 それに気づき、真っ青な顔のまま振り返ったジオウは悲鳴を上げる暇もなく、獣のような鋭い爪で、一思いに切り裂かれ、鮮血を撒き散らしながらそのまま、その場に倒れこんだ。
 真っ赤に染まった床の上、永遠の眠りにつたジオウを見つめる双眸が月光を反射し怪しく光る。仄かに明るい闇のなか、不気味な笑い声が響いた。

「ふふふ……」

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【亡霊】

「ご主人様! ご主人様! 起きてください!」
「うるさい……」
 まぶしい朝日が、ガラス窓から無遠慮に降り注いでいる。
「ご主人様ぁ!」
 コタローのあつかましい声は扉の向こうから聞こえている。彩羽はベッドに張り付く重い体を起こした。
「はあ……やっぱり、夢じゃないよな〜」
 そう云う彩羽は、どうやら未だにこの出来事が夢であって欲しいと思っているようだ。
「ご主人様! 起きてください! ジオウさんが!」
「ん?」
 今、コタローは確かにジオウの名を出した。それもひどく動揺しているようである。事件かもしれない。そう思い、彩羽はとりあえず服を着て扉を開けた。

「ジ……ジオウ様は、どんなに遅くまで、ご研究に勤しまれていらしても、必ず同じ時間に食堂で朝食を取られるのですが、今日はいつもの時刻にそのお姿が見えませんので、私が、お部屋を訪ねましたところ……」
 使用人のイルフは動揺しているように見えるが丁寧な言葉使いで、いきさつを語る。
 イルフの話によると、ジオウは朝、部屋で息絶えていたという。
 そして、ラウのみたてたところによると、ジオウは鋭利なもので、それもものすごい力で切り裂かれていたのだという。おそらく魔術師が召喚した魔獣の仕業ではないだろうかとも、ラウは付け加えた。
「部屋には開けたままの古い魔術書に、見たこともない魔法陣があったわ。もしかしてジオウは召喚の手順を間違えて魔獣に切り裂かれたんじゃないかしら?」
 ラウが言った。
 今は皆、食堂に集まり重い空気を漂わせている。
「僕は、昨日の夜。ヨミを見たよ」
 そのリングの言葉に一瞬、時間が途切れたようだった。
 レックスは立ち上がりリングをじっと見つめて、問い詰めた。
「おい。リング……今、なんて言った?」
「ヨミを見た。って言ったんだけど?」
「! 見たってどう言う事だ! あいつは死んだ! そうだろう?」
 うろたえるレックスに対してリングは表情ひとつ変えずに、しれっとしてこう答えた。
「見たんだからしょうがないよ。僕は、昨日、夜中ふと、目が覚めたとき、何かを感じて廊下に出た。そしたらちょうど、異世界から来た彩羽って男が使っている部屋の前の辺りに、見覚えのある後姿があった。そいつが、どこかに向かって歩いているようだから、声をかけたんだ。そしたらその影は振り向いて……」
「それがヨミだったって言うのか?」
 レックスは、かすかに震える声でそう訊ねた。リングは淡々と答える。
「そう。そして、ヨミは不適に笑って、暗闇に消えていった」
「どういうことだ! ヨミは死んだんだよな?」
 動揺している様子のレックスの顔は青ざめていた。
「当たり前でしょ。私がちゃんと確認したわ。それにフィラとイルフは棺に入ったヨミを見ているし、土もかけてやっているから分かるでしょ?」
 ラウが言った。
 フィラは、俯いたまま何も言わない。イルフは、こくりと頷いた。
「わ……私は、ヨミさんを棺に入れましたし……その棺を私と、ジオウ様と、ラウさんの三人で墓穴に入れました。土をかぶせる前に、もう一度、中を確認しましたので……」
 レックスは椅子に腰を下ろし、突然笑い出す。
「わはははははははは。じゃあ、亡霊だな。あいつ、相当この世に未練があるんだ!」
 イルフは、おずおずと口を開く。
「あの……。もう、お二人も死人が出ています。魔術警吏署に届けたほうがよろしいのではないでしょうか?」
 レックスは、魔術警吏という言葉を聞き急に真顔に戻った。
「そうだ、ヨミの亡霊なんてどうでもいい。何故、ジオウが死んだ? 本当に召喚の手順を間違えたのか?」
「ジオウはそんな初歩的なミスはしませんよ。もし、魔法陣が間違えていたとしても、安全に無効化する方法も心得ているはずです」
 リングが淡々と否定した。
 ジオウが自らのミスで死んだのではないとなるとそれは、殺人を意味する。
「ジオウは、昨日の夜も、きっちり研究所の出入り口全部に、魔術師対応の結界を張ったんだよな?」
 レックスがやはり震えた声で疑問を発すると、それにはイルフが答えた。
「はい。今朝は、リングさんに結界を何とか解除してもらいました。ジオウ様のお部屋の窓も、あの朱色の呪符が確りと貼られていましたし……」
「くっ……ってことは、内部の人間の犯行ってことになるじゃねぇか」
 そこまで言って、レックスは矢庭に立ち上がり彩羽のそばまでつかつかと歩いていった。そしてこう言う。
「おい。お前、さっきからやけに静かだよな?」
「…………」
 彩羽が何も答えないので、レックスは苛立ったようだった。
「お前。本当は魔術師なんだろ! それで、ヨミを蘇らせて、ジオウを……」
「ふん。駄洒落かよ」
 からかわれたレックスは、カッとなって彩羽の胸倉を掴んだ。
 彩羽は目もあわせずに言う。
「『屍を操った』ってほうが、不気味でいいな」
「てめぇ! ふざけんなよ!」
 彩羽はレックスの手を払う。
「ふざけんな? こっちのセリフだよ! 俺が魔術師だったら、とっくに元の世界に帰ってるっつーの! だいだい俺はあまり人と関わりあいたくないんだ! なのに何でわざわざ、こんな薄気味悪い場所に留まって、殺人なんて、しなくちゃならないんだよ!」
「うっ…………」
 さすがのレックスもこれには言い返せないようで、言葉を詰まらせた。
「そうよ。レックス……少し落ち着きなさいよ。彩羽には、ジオウやヨミを殺す理由がないわ」
 レックスは彩羽を擁護したラウを睨みつけ言った。
「はっ! じゃあ、俺や、お前やリングにフィラやイルフにはその理由があるとでもいうのか? ないだろう! そうなると部外者のこいつが一番怪しいんだよ!」
 激しているレックスは、彩羽の腕を掴んで無理やり歩かせようとした。
「来い!」
「ご主人様を、乱暴に扱わないでください!」
 そう叫びながらレックスに向かって行ったコタローは、あっさり突き飛ばされてしまった。
「おい! リング! こいつを部屋に放り込んでおくから、強力な結界張って出られなくしてやってくれ!」
 レックスに指名されたリングは、面倒くさそうにため息をついた。レックスは彩羽を鋭い目で睨みつけて言った。
「観念しとけよ。今から……いや、明日の早朝にでも、魔術警吏を呼んで、お前を突き出してやる!」

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【予兆】

 ジオウの葬儀は、つつがなく済まされた。
 新しく作られたジオウの墓の前に立っていた研究所のメンバーは、そのうちに、ふらり、ふらりと、所内に戻っていった。
 皮肉なくらい澄んだ空の下に残ったのはレックスとラウだった。
 ラウは墓から目を離さずに静かに言葉を発した。
「どうして、魔術警吏を呼ぶの、明日にしたの?」
 レックスもジオウの眠る墓をじっと見つめている。
「ふん。ジオウは人一倍、部外者の侵入を嫌っていたからな。魔術警吏を呼ぶのは、静かに土の中に眠らせてやってからのほうがいいだろうと思ったんだよ」
「ふーん。意外ね。あなたにジオウに対する思いやりが存在したなんて」
「はっ。今日だけだよ。今日くらいはな……」
 しみじみした様子でそう言ったレックスは、ジオウの墓に背を向けて、研究所のほうへと歩き出した。
 歩きながらレックスはふと、目を上げる……
「!」
 レックスは、ピタリと歩を止めた。
 顔にはありありと恐怖の色が浮かんでいる。
「お……お前……」
 その視線の先には、漆黒の髪の男がいた。
 男は、オリーブ色のハイネックのつなぎを着ていて、黒い皮の手袋をはめている。
 その整ってはいるが、どこか神経質そうな顔立ちの男は、レックスを見て不適に笑った。
「くっ!」
 レックスは恐怖に思わず声にもならない声を漏らす。  ジオウの墓を見つめていたラウは、レックスの異変に気づき振り返る。
「どうしたの?」
 その声に振り返ったレックスは、動揺しながらラウに言う。
「ラ……ラウ! あ……あそこを見ろ! ヨミが!」
 ラウは、レックスが指差す先を見る。だが首を傾げてこう言った。
「誰もいないわよ?」
「何?」
 レックスは視線を戻した後、辺りを注意深く見回した。
 だが、ラウが言うように、辺りには人の気配すらしなかった。青ざめた顔のレックスは冷や汗を流しながら、呟いた。
「! さ……さっきは、いたんだ! あいつ……俺を見て……わ……笑いやがった」

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【最後の晩餐】

「コタロー。全然ご飯、食べてないじゃない」
 ラウが心配そうにコタローに声をかけた。コタローはしょんぼりとした様子で答えた。
「だって、ご主人様は、朝から何も食べていない」
「水は置いておいてやったから死にやしねぇよ」
 レックスは、よく焼けた肉を口に運びながらそう言った。
 今は夕食の時間だった。食卓には、彩羽と使用人のイルフを除く五人が静かに腰掛けていた。
「ご主人様は……犯人なんかじゃないのに……犯人なんかじゃ……」
 コタローは目に涙を溜めている。
「ふん。言い訳は魔術警吏署でするといい」
 レックスは冷たく言い放つ。コタローはそんなレックスに挑むような視線を投げかけて言った。
「っ! 何で私は疑わないんですか! ご主人様が怪しいなら私も怪しいでしょ!」
 そんなコタローの視線に動じることもなく、レックスはしれっと答えた。
「お前は昨夜からジオウの死体が見つかる朝まで、ラウと一緒にいたからな。それに、主人さえ閉じ込めとけば、お前一人で何かが出来るとも思えないしな」
「う〜」
 役に立たない自分が不甲斐なく思ったのか、コタローは今にも泣き出しそうだった。
 その時、カチャン……と、音を立てて、フィラがフォークを落とした。
 ラウは不思議そうにたずねる。
「どうしたの? フィラ?」
 訊ねられたフィラは目を見開き、ある一転を凝視していた。少女が見ているのはどうやら食堂の出入り口のようだ。
 そして、フィラは動揺した様子でこう、言った……
「あ……あ、あ、ヨミ……!」
「!」
 ヨミと言う名を耳にして、皆は一斉にに出入り口に視線をやった。
「うわああ!」
 と、声を上げたのはレックスだった。

 そこには確かに、あの亡霊が微笑みながら立っていた。
 暗い廊下を背後にして、冷ややかな眼差しを浮かべて突っ立っていた。
 一同は呆然と、その様子にただ、見入っていた。
 そして、ヨミは、不適に笑ったかと思うと踵を返し、暗闇に駆けていった。

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