IROHA POETRY

イロハ詩

第二章 魔術師たちの晩餐


「おい。ラウ。何でこんな胡散臭いやつを擁護するんだよ?」
 例に漏れずオリーブ色の服を着ている細面の男が、気だるそうにそう言った。
「あらあ。だって、異世界から来た男の子なんて、ミステリアスで素敵じゃなあい?」
 ラウは相変わらずの妖艶な笑みを浮かべて、どこかこの状況を楽しんでいるかのように答えた。すると、細面の男は不愉快そうに顔をゆがめた。
「はっ。異世界から来たなんて、本気にしてるのかよ」
 そう言いながら細面の男は、斜め前で食事をとる黒いTシャツ姿の彩羽を見やった。
 今、彼らがいるこの薄暗い食堂は、何がモチーフなのかよく分からない不気味な彫刻が並んでいて、壁には不思議な生き物が彫刻されていた。
 それらに見入っている彩羽の様子に気づいたラウが、説明を入れた。
「それは私たちが召喚する精霊や悪魔も異世界の住人よ。ああ、そうだわ彩羽、彼らの紹介がまだだったわね。私の隣でぶつぶつ言っているこの男は、ここの、研究員の一人で、『レックス』って言うのよ」
 ラウが彩羽に対して不平を言っていた細面の男を、そう紹介した。
 中央に、大きく華美な燭台が置かれているこの長方形の食卓。
 これを囲むこの研究所の住人を、彩羽の前に座っているラウは順番に紹介していく。
「レックスの隣にいるのが、『フィラ』この子も研究員の一人よ」
 そう紹介されたのは、さきほど彩羽たちと出くわした少女だった。彩羽は、なぜか、そちらを見ようとしないかった。
「そして、私と彩羽の間にいるこの方は、『ジオウ』といって、ここの研究員でもあり、責任者で所長。つまり、この研究所の一番偉い人よ」
 そう紹介されたジオウは、いかにも魔術師といった風貌の小柄な男で、年はよく分からないが、若そうには見えなかった。そのジオウは何故か不気味に笑った。
 ラウは紹介を続ける。
「そして、ジオウの真向かいにいるのが、やっぱりここの研究員で、天才魔術師『リング』よ」
 天才と呼ばれたリングは、コタローやジオウと同じオリーブ色のローブを着ている大人しそうな顔をした少年だった。リングは突然の来訪者に興味を示さずに、のそのそと、料理を口に運んでいた。
「そして最後に、今タイミングよくスープを運んできたのが、この研究所で唯一の使用人『イルフ』よ」
 紹介されたイルフは、彩羽とコタローに軽く頭を下げた。イルフは、背の高い、まじめそうな男だ。
 そのイルフは、ちらりとラウを見たようだった。
「コタロー様は、熱いのが苦手だと聞いておりましたので、冷ましておきましたよ」
 そう言って、やはりオリーブ色のスーツを着た使用人は、スープをコタローの前に置いた。
「うわあ〜い」
 彩羽の隣に座るコタローは、嬉しそうにスープ皿を両手で持ち、そのまま、ぐぐっと一気に飲み干し、幸せそうな声でこう言った。
「ぷっは〜。お〜いしかった〜」
 その無作法な様子を研究所の面々は呆気にとられて見ていた。だが、そんな視線など気にも留めないコタローは、初めて食べた作り立ての料理に「ご満悦」のようだった。

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【結界】

「ご主人様。全然、ご飯、食べてなかったじゃないですかぁ」
 部屋に戻ったコタローは、心配そうに主人に語りかけていた。
「…………」
 だが主人は何も答えない。なのでコタローは勝手に話を続ける。
「ご主人様が、ぼ〜っと、していたから、コタローが、みなさんとお話してたんですよぉ?」
「…………」
「ここって、敷地の周りに結界が張ってあって、魔術師以外の人間は足を踏み入れることが出来ないんですって。何で魔術師以外なんですか? ってジオウさんに聞いたら『魔術師も対象に入れたら、自分たちも出入りが出来なくなるだろ?』ですって、あたりまえですよねぇ、あははは……」
「…………」
 あまりにも返事がないのは、さすがに面白くなかったようで、コタローは唇を尖らせて、ベッドに横になっている主人の背中をしばらく見つめた。
 見つめていたが、やはり沈黙もつまらないのか、またコタローは喋りだす。 「ねぇご主人様ぁ。それで、死んじゃったあの男の人の部屋にいたコタローたちは、魔術師だって、話になったんですよ?」
「うるさい。そんなこと、知っている。聞こえていた」
 やっと返事がもらえた嬉しさでコタローは顔を明るくしたが、主人の言葉はそれっきりだった。
 彩羽は、暗い食堂での会話を回想していた。


――「魔術師だから、あの部屋に入れたんだぜ。やっぱりこいつらだろ、『ヨミ』を殺したのは」
 細面のレックスが責めるような調子でそう言った。どうやら殺された男はヨミという名らしい。
 所長のジオウがレックスの意見に反対をした。
「魔術師……確かにそうなのかもしれないが、この方たちを殺人犯だと決め付けるのはいささか早急であろうよ。もし、万が一そうであるのならば、彼らは非常に間抜けだとは思わんか? 殺した人間の死体を見て倒れ、意識を失い、しかもそちらのお嬢さんなど、何故か一糸纏わぬ姿であったではないか?」
 レックスはその言葉を聞いて、突然、いやらしい笑みを浮かべて言った。
「ああ。そうだな、そういう意味では異世界から突然ここへ飛ばされてきたと考えるほうが、納得できるってわけか! 異世界でそっちのお兄ちゃんとお姉ちゃんが、いちゃいちゃしていたときに、こっちへ飛ばされた、だから、お姉ちゃんが裸だったってことだな。んふふふふふ」
「やめなさいよ。食事中よ」
 ラウが不愉快そうに美しい顔をゆがめて、たしなめたが、レックスの方は聞いてなどおらず、まだ品のない話を続けた。
「そうだ、何しているときのエネルギーが、時空間に何らかの作用を及ぼして異世界への移動が可能になったのかも知れないぞ!」
「だから、やめなさいって言っているでしょ、レックス!」
 堪りかねたた様子のラウは強い口調で注意をした。だが、やはりこれも効果はなく、レックスはニヤニヤとしながら話を続けた。
「そんな怖い顔すんなよ〜ぉ、ラウ。それより、俺らも今夜試してみようぜ。もし、時空移動が可能になったら、俺たちは大魔術師として認められるぞ、そうなれば、一生遊んで暮らせるわけだ! いい事尽くめじゃないか」
 ラウは顔を背けた。とうとうレックスを無視することに決めたようだ。
「そんなことより」
 ころあいを見て、所長のジオウが口を挟んだ。
「ヨミの部屋を含めて使用していない部屋は全て封印してしまおう。夜の間は、研究所の出入り口すべてに魔術師対応の結界も張っておこう。お前たちも、それぞれの部屋の窓にも確りと魔術師対応の結界を張っておくんだぞ」


「聞こえていたなら、話に入ればよかったじゃないですかぁ」
 コタローの緊張感のない声で、彩羽の回想が中断された。
 彩羽は、ゆっくりと上体を起こす。そして面倒そうにこう言った。
「お前、ここは俺に与えられた部屋だぞ、自分の部屋に戻れよ」
「え〜」
 コタローが、大げさとも思える調子で不平を表したとき、こんこん。と、扉をたたく音。がした。そして扉の向こうから声がする。
「彩羽、いる? ちょっといいかしら?」
 ラウの声だ。彩羽はコタローに、顎で扉を開けるように指図する。コタローは犬らしく、その命令には従順に従った。
「はいどうぞ〜」
 コタローが扉を開けると、ラウが相変わらずの妖艶な笑顔で現れた。
「あら? お邪魔しちゃったかしら?」
 二人が揃っている様子を確認したラウが、気を利かせてそう言った。コタローは首を横に振り、少しすねた口調で、言う。
「いいえ。今、自分の部屋に戻れって言われたとこです……」
 ラウは彩羽に視線を向けて、コタローに同情する発言をした。
「あら、彩羽、彼女には優しくしてあげなきゃダメじゃない。何が不満なの? コタローは可愛いし、スタイルだっていいじゃない?」
 彩羽はベッドからも降りずに、無関心そうに答えた
。 「俺、犬と交尾する趣味はないけど」
「い……犬って、あなた、女の子、犬扱いしているの!」
 少し驚いた顔をしたラウは、けだるそうな様子の彩羽からコタローへと視線を移す。コタローは寂しそうに頷いて、しゅじんの言葉に同意を示した。
「コタローは犬なんです」
「いっ!」
 なにやらショックが大きかったのか、ラウは少しふらついた。だが、すぐに気を取り直して、言った。
「ま、まあ、いいわ。本人同士が納得しているのなら……。はぁ最近の若いこのことは本当、よく分からないわ……。歳かしら?」
 最後のほうはただのボヤキである。
「何か勘違いしてるみたいだけど……なんか用?」
 彩羽に問われてラウは用件を思い出した。
「ああ。そうそう、窓に札を貼りに来たのよ」
「お札ですかぁ?」
 ラウは朱色の長方形の札を二枚、手にしている。コタローはもの珍しそうにそれを見つめた。
「ええ。そうよ、これはジオウが作った呪符なの。これをこうして窓に貼り付けておけば……よし、コタロー、窓、開けてみて」
 コタローは札が貼られた窓の、ねじ式の鍵をはずして窓を開けようと試みた。
「アレ? 開かないです。鍵は、はずしたのに……」
「んふふ。それが結界よ。この窓は、たとえ魔術師であろうとも開けることが出来ないの。この札をはがさない限りはね」
 ラウが自慢げに説明をした。コタローは単純に感心していた。
「へ〜。あれ? でもこのお札はがせませんよぉ?」
 はがせないどころかめくることも出来なかった。まるで、窓ガラスに札がぴったりと吸い付いているようだ。
「それはね部屋の主以外は、はがせないように呪文がかけられてあるからなの。この部屋の今の主は彩羽だから、彩羽だけがこの窓を開けることが出来るってわけなのよ」
 ラウとコタローは、同時に彩羽へと視線を移した。
 何か考え事でもしているのだろうか? 彩羽はなんだか、ぼんやりしているように見えた。
 フィラという少女の姿を見て以来、ずっと彩羽はどこか虚ろだった。
 コタローは不安な顔を作る。
「コタロー。あなたの部屋にも札を貼りに行きましょう」
 ラウの言葉にコタローは、こくりと頷いた。そしてラウの後に続いて、彩羽の部屋を後にする。

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【ラウ】

 ウーリー魔術研究所のそばにある、質素だが重厚な造りの教会で、ラウは子供たち相手に講義をしていた。
 彩羽はコタローと、入り口に近い椅子に座ってそれを見ていた。
「魔術には三つの種類があります。ひとつは悪魔のパワーを借りる黒魔術。それから、土 水、空気、火の四つの精霊たちのパワーを借りる白魔術。そしてこれら二つの魔術に属してはいるものの、大きく分けて別の魔術とされる魔法薬調合術です……」
 天窓から光が柔らかに射しこんでいる。真剣にラウの話に聞き入る子供たちの姿は、とてもほほえましかった。
「どれにおいても、必要となるのが自身の精神力と魔方陣、知識それから呪文です。これら全ての魔術をマスターするのもよいでしょう。また、ひとつの魔術を追求するのもよいでしょう。何にせよ、その成功の先には豊かで幸福な生活が待っているのです……」
 彩羽は開け放たれた扉の外の大通り見遣った。
 工場の無い十八世紀イギリスのような町並みだった。
 その渋いレンガの町並みに、彩羽は、あの有名なベーカーストリートを思い起こす。彼の名探偵シャーロックホームズが、難しい顔をして歩いていてもおかしくなさそうだ。
 黒光した無蓋の馬車が教会の前を通り過ぎた。
 レースと花のついた小さな帽子を頭にのせた、青いドレスの若い婦人が美しい顔を不安げにゆがめ、その馬車に揺られていた。。
 あの名探偵を訪れる途中なのかもしれない。

「聞いていてもつまらなかったでしょう?」
 淡い光に包まれた研究所のピロティーを歩きながら、ラウがそう聞くとコタローは頭をかいて照れ笑いをすした。
「えへへ。実は、まったく意味がわかんなくて……でも、いつもラウさんは、あそこで、先生してるんですかぁ?」
 ウーリー研究所は外から見ると、まるで西洋建築の美術館のように見える。だが、中に入るとアレほどまでに不気味なのは何故なのだろうか。
 ラウは穏やかに微笑んだ。
「いつもじゃないけど、週に二回は……。私もね、初めて魔術に触れたのが教会での講義だったから。勿論、これって無償労働なのよ」
「オリーブ色の服を着なくちゃいけない規則なのか?」
 彩羽がようやく口を開いた。
「ええ。ウーリー魔術研究所の……いいえ、研究所のパトロン、ウーリー家のシンボルカラーなの。この世界では、貴族たちはステータスのひとつとして魔術師の育成に力を……じゃなくて、お金を注いでくれているのよ。彼らは自分の研究所から、大魔術師を輩出したいのよ。だから、一目でどこの魔術研究所の魔術師か分かるように、その家のシンボルカラーを身に付けさせるのよ」
「……死んだヨミって男のこと、ラウはどう思う」
 彩羽は脈絡もなく次の質問をする。ラウは戸惑いながらも質問に答えた。
「え? ……そうね。年は若いけど……確りしていて……口がうまくて……」
「好きだった?」
 唐突なその質問にラウは少し動揺したようだった。
「え? ……嫌いじゃなかったわ。顔も整ってたし、ミステリアスな雰囲気を持っていたしね……」
「犯人を捜してほしいって……あんたは、研究所内に犯人が居るって思ってるのか?」
 ラウは、その質問に目を伏せて答えた。
「……かもしれない……って思うだけよ……。どっちにしても、早く見つけてほしいわ……」
「ふ〜ん」
 そっけない返事で、彩羽は足早に歩き出す。
「あら、どこ行くの?」
「どこ行くんですかぁ?」
 ラウと、コタローは同時に彩羽の背中に問う。彩羽は、少し振り返り答えた。
「何か、色々、話し聞きに行こうと思って」
「わあ! ご主人様! コタローも付いていきますぅ」
「来んな! 邪魔だ!」
「邪魔なんてしませんよぉ」
 騒がしく去っていく二人を遠目で見やり、わずかに微笑んだラウは、突然、はっと、した顔をして、何故か強く唇をかんだ。

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【おしゃべりな男】

「ああ、異世界のお兄ちゃん。汚い部屋だが、そこらへんに椅子あるだろ?」
 本人が言うようにレックスの部屋は、雑然としていた。だが、死んでいた男ヨミの部屋とさほど変わらないようにも見えた。魔術師の部屋と言うのはどこも、こんなものなのかもしれない。
 彩羽とコタローは、言われたとおり椅子を探し出して腰掛けた。
「何が聞きたいんだ?」
 そう言いながらレックスは、机に両足を放り出し、相変わらずいやらしい笑みを浮かべて彩羽とコタローの顔を交互に見ていた。レックスの背後にある窓にも、彩羽たちの部屋と同様に、ジオウが作ったあの結界用の朱色の呪符が確りと貼ってあった。
「ヨミって、どんなやつなんだ?」
 彩羽の問いにレックスはおもむろに顔をゆがめて答えた。
「嫌なやつだぜあいつは。口がうまいから、女受けはいいがな。しかも美系で切れ長の目が色っぽいんだとよ、知り合いの女がそう言ってたぜ。俺らからすればどこと無く陰気な兄ちゃんだぜ?」
 ラウはヨミについて、「ミステリアスな雰囲気がある」と表現していたが、男から見ると、それは「陰気な雰囲気」になるらしい。
「ヨミは、まあ、男前の部類に入るのかしれねぇが、そんなたいしたことないよな? 俺は、彩羽のほうが美人だと思うがな?」
 レックスはニヤつきながら言った。
 彩羽はあからさまに不快感を顔に表すが、コタローは嬉しそうに、賛同した。
「そうでしょ、そうでしょ! ご主人様ってぇ……」
「どうでもいいだろ! そんなこと!」
 いらだった様子で彩羽が怒鳴ると、レックスは笑い出した。
「あはははは。そんな怒るなよ彩羽。あ〜。そうそう、ヨミの事、聞いてんだよな……。あいつはな、ある地区じゃ天才だと騒がれてたみてぇだけど、実際は、たいしたこと無いぜ、本当の天才はリングみたいなやつのことを言うんだ。あいつも、ここに入ってそれに気づいたと思うが……」
 そのとき、唐突にコタローが立ち上がった。
「はあっ! コタロー気づいちゃいました! ご主人様! ヨミはもしかして自殺なのかも知れませんよぉ?」
「お前、黙ってろよ。静かにするって言うから連れてきてやったんだぞ」
 せっかくのコタローのひらめきも、彩羽は気に留めなかった。
「おいおい。いちゃつくなよ〜」
 レックスはニヤつきながら二人をからかったが、すぐに真顔に戻ってこう言った。
「でもな、あいつに限って自殺は絶対無いぜ。あいつはプライドは異常に高いし、望もあったしな」
「豊かで幸福な生活ってやつか?」
「おお! それそれ、それよ」
 レックスは、足を下ろし、身を乗り出しながら言った。
「俺もだが、あいつも大魔術師って言う肩書きが欲しいんだ。大魔術師として世間から認められれば、弟子はつくは、信者は出来るは、パトロンから直接金を引っ張ることは出来るはで、それこそ死ぬまで楽して贅沢して暮らせるってわけよ。……あいつは魔術師としての才能こそ無いが詐欺師の才能があるからな、どんな手使ってでも大魔術師になろうとするはずだ。それをこんな中途半端に自殺なんてするかよ」
「あんた、ヨミのことが嫌いなんだな」
「ああ。嫌いだぜ。だが、おれは、ヨミを殺さない。どうせ殺るなら所長のジオウを殺る。所長ってのはいいご身分なんだぜ。パトロンから指名されてその職に就くわけだから、それこそ小さな世界の権力者よ。私腹も肥える肥える。やつが死ねば俺もそのおいしい所長になるチャンスがあるからな。ふへへへ」
「ふへへ……ね。レックス、あんた、何の研究してるんだ?」
「良くぞ聞いてくれました。こう見えても俺はまじめな研究をしてるんだぜ。大昔の白魔術師の書き残した文献の解読な……。ってか、文献買いあさるだけでも金かかるんだよな。それでな……」
「もういい」
 彩羽は無理やり話を中断させて、席を立った。
「おっ! おい!」
 レックスが呼ぶのも聞かずに、彩羽はさっさと部屋を出て行った。
「ああ! 待ってくださいよ。ご主人様ぁ」
 コタローが主人の後を追って出て行った後、レックスは椅子の背もたれに体重をかけ、ぼやく。
「ったくよー。最近の若者は……。コミュニケーションって言葉、知ってんのかね?」

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【ジオウ】

「すまないね。汚い部屋で」
 ジオウは申し訳なさそうに言ったが、レックスの部屋より整然としている。ただ置いてあるものはよく似ていた。
 一本の紅いろうそくが刺ささる燭台。それが真ん中に置かれている丸テーブルに、ジオウと彩羽、コタローの三人は腰掛けた。
 やはり部屋の窓には、あの朱色の呪符が貼り付けてあった。
 コタローは窓際の書き物机の奥にある大きな背もたれのついた立派な椅子に目を奪われていた。
「それで? 何か聞きたいことがあるのかね?」
 ジオウが、話を切り出した。彩羽は皆にもした質問をジオウにもする。
「ヨミって男のこと、どう思いますか?」
「ふむ。そうじゃな、あれは野心家じゃな。生まれが貧しかったせいか、贅沢な暮らしをする大魔術師とその頃出くわしたせいか……」
 いつの間にやらコタローは、メモをとっていた。そんなことは気にせずに彩羽は質問を続ける。
「ヨミの死因って、なんだったんですか?」
「死因? そんなもんは知らん」
「知らんって……なんだアレ? 魔術警吏とかいうのは、どう言ってたんだよ? 医者は?」
「この中で起こったことは、よっぽどのことが無い限り、この中で解決する」
「殺人はよっぽどのことだろ……」
「ふあはははは。そうじゃな、世間ではな……。じゃが、ここは特別な場所だ。関係者以外の人間は、本来は歓迎せぬのじゃよ。これ以上の死人が出ん限り、警吏は呼ばぬ。それに、ラウは魔術医だ。あやつが、ヨミが確実に事切れていることを確認した。それで十分。死因なんてのは、そんなに重要なことなのかね?」
「重要ですよぉ」
 コタローは筆をおき、話に割り込んだ。
「だってですね、二時間ドラマなんかでも、死因に犯人を示す重要な手がかりが隠れていることも多いんですよ……」
「コタロー」
 彩羽は、ジロリと、コタローを睨み付けた。だが、睨まれた本人は何故か瞳を輝かせ、見返してくる。
「はい! なんですかぁ?」
 そのあまりにも純粋な瞳の輝きに、彩羽の怒りがなえた。彩羽はコタローから目を逸らしてため息混じりに言った。
「うっ……もういい。怒るのも面倒くさくなってきた……はあ」
「何か、心の奥に抱えているのかね?」
「は?」
 ジオウの突然の問いかけに、彩羽はポカンとした。ジオウはこう言葉を続けた。
「対人関係で……じゃよ。君は、一秒以上、他人と目を合わせることが出来ないようじゃないか?」
「!」
 その問いかけに彩羽は、あからさまな動揺の色を見せた。ジオウはその様子を見て、笑みを漏らしていた。
「っ! あっ……。そんなこと、今は……」
「どうしたんですかぁ? ご主人様……顔色がよくないですよぉ……」
 コタローの問いかけにも答えずに彩羽は、立ち上がり扉へ向かう。
「おや? もう帰るのかな?」
 ジオウはからかうように言った。色は気のない風に、だが少し息苦しそうに答えた。
「もう聞くことは無いからな」
 彩羽の背後から、少しの笑い声が聞こえた。 「ふふ……。そうか、また聞きたいことが出来たら、遠慮せずたずねてきなさい」


「ああいう、人の内面、見透かしているみたいな……嫌いだ……」
 ジオウの部屋から出た彩羽は、壁にもたれてぼやいた。
「ご主人様ぁ。本当に大丈夫ですかぁ?」
 コタローは心配気に彩羽の顔を覗き込もうとしている。彩羽は何も答えずに目を逸らした。
「…………」
「おや? こちらにいらしたのですか?」
 突然に、使用人のイルフが声をかけてきた。イルフはそばまで寄ってきて言葉を続けた。
「昼食を、お部屋にお持ちしたのですが、ノックをいたしましても返事がございませんで、お探ししていたのですよ?」
 コタローの瞳がキラキラと輝きだした。 「ご主人様! ご飯!」
「はあ。犬はいいよな。本能でしか生きてないから……」
 けだるそうな声でそう言って、歩き出した主人の背中を、コタローは悔しそうに見つめて、つぶやいた。
「そんなこと……ないですよ」

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【雫】

「お前、自分の部屋で飯食えよ」
 皿を直接床に置き、地べたに座って昼食をとりながら、彩羽が言った。コタローは甘えるような口調で答えた。
「いいじゃないですかぁ。一人のご飯は寂しいですも〜ん」
「一人じゃなくて一匹だろ」
 主人のセリフのつれなさに、コタローはちょっと怒ってみた。
「もう! 意地悪!」
「うわっ! きったねぇ〜な。口の中のもん飛ばすなよ」
 コタローは唇を尖らせてすねてみる。だが主人は気づいた様子も見せなかった。
 そんな主人の横顔を見つめながら、コタローは不意にわきあがってきた疑問を口にした。
「あの人、ジオウって人が言ってたの……どういう意味ですか?」
 ギロリと、彩羽はコタローを睨みつける。
「うるせぇよ。いちいち主人のことに干渉するな」
「ご主人様だから気になるんです!」
 コタローに、じっと見つめられると彩羽はすぐに目を逸らした。そして、かすかに震える声で言った。
「……悪いかよ……。軽い対人恐怖症なんだ……」
 対人恐怖症。そんな言葉はコタローには難しすぎで分からなかった。コタローは首を傾げた。
「え?」
 だが、まさか理解していないとも思っていない彩羽は、そのまま言葉を続ける。
「そして、軽い引きこもりだ……だから、あまり人に会わなくてすむ深夜のコンビニでバイトしてるんだよ。何か文句あるか?」
 最後のほうは、開き直ったように怒り口調だった主人の言葉にコタローは何故か、驚きの表情を見せた。
「! 引きこもり! 今、流行の引きこもりなんですか? ご主人様!」
 何故か、引きこもりという言葉に食いついてきたコタローに、彩羽は呆気に取られた顔をした。
「は? なんだ? 流行って」
「しらないんですかぁ? 夜のニュースでよく特集してますよ! でも、そうだったんですか〜。へ〜」
 コタローは何故か感心して頷いている。
「ニュースって、お前! 何で、テレビなんか見てんだよ! ってか、電気代が妙に高いのはお前のせいか! くそ! 捨てる! 俺はテレビなんて見ないから、あんなもん、ぜって〜捨ててやる!」
 高い電気代の元凶がコタローだと知った彩羽は、本当に怒っている。コタローは慌ててすがるような声で懇願した。
「いや! ダメですよ〜。コタローはテレビないと生きてけない!」
「じゃあ、死ね! ってゆうか、犬のくせにテレビなんて見るな! 変な知識つけやがって!」
「変な知識なんかじゃないです! コタローの二時間ドラマの知識役に立ったでしょ?」
「立ってねぇよ!」
 彩羽とコタローは睨み合う。
 妙な沈黙の後、彩羽は、サンドイッチにかぶりついた。コタローも、同じようにサンドイッチに噛み付く。
 そして二人は黙々と、昼食をとる。
 コタローは、ちらりと主人を見遣った。
「雫って、誰ですか?」
「!」
 唐突なコタローの質問は彩羽を動揺させたようだった。
「……な……なんで、そんな……人がポロリと漏らした言葉まで聞いてるんだよ」
「コタローはご主人様の言葉は、いつも確りと聞いてますよ」
「…………」
「あの子。フィラって子のこと見て、言ったんですよ? 似ているんですか?」
「…………」
「…………」
 また沈黙が訪れる。
 コタローの目に映る彩羽は、あからさまに、苦痛の表情を浮かべている。そして、消え入りそうな声で、言った。
「……似ている。……生きていたら、同じくらいの年だ……」
「え?」
「雫は、妹だ。……七つのときに、死んだ……」
「え!」

 ――待ってよー。お兄ちゃあん――

 あの日は雨が降っていた。

 俺は十歳で、雫は七歳。人見知りで甘えん坊の雫は、どこへ行くに俺の後をもついてきた。それを、その頃の俺は、うっとうしく感じ始めていたんだ……
 だから、俺は友達と遊んだ公園の帰り道。傘も差さずに、雫がぎりぎり追いつけないスピードで、サッカーボールを蹴りながら歩道を進んでいたんだ。
「お兄ちゃん……おにいちゃん……」
(うるさいなぁ。呼ぶなよ。お前がいつもついてくるから、みんなに笑われるんだからな!)
 そんなことを考えながら、俺は足早に歩き続けた。
 ザアアア……
 パシャパシャ……
 雨の音、走る足音。それでも時々は、雫がちゃんとついてきているか確かめるために振り返ってみたりした。雫は目が合うたびに、かまってほしそうな笑顔を見せた。
 ……その瞬間も雫は笑っていた……

「! 雫ーーー!」
 俺は叫んだ。
 だって、車が、雫に向かって走ってきていたんだから……
 その車は、スピードを落とすことなく歩道に乗り上げて、雫をはねた。
 雫のお気に入りのウサギのキャラクターの傘が……笑っていた軽い雫が、空を舞った。
 ごっ……
「!」
 いやな音を立てて、俺の、もう、ほんの数メートル先に雫は落下した。
「あ……あああああああああ!」
 俺はしりもちをつく。
 車は、きゅるきゅると、耳障りな音を立てて逃げてった……
「ひき逃げだ!」
 見知らぬ大人の男が叫んだ。
「救急車を!」
 これは女性の声だ。
「君……大丈夫か?」
 誰かが俺に声をかけた。顔は分からない……
 だって、俺は、ただ、雫を見ていたから……
 そう、ただ、見ていた……ぐったりと動かない、小さな雫を……ただ見ていただけだった……

 コタローは、彩羽の痛々しい横顔をじっと見つめていた。彩羽は、わずかに震えている。
「ご主人様……」
「だから、あの子、雫に似ていたから……犯人が、中にいるのか、外にいるのか分からないけど、もし、そいつが、あの子も狙っているのだとしたら……。守りたい」
 決意さえ感じる彩羽のその声は、体と同じように震えていた。
「……だから……なんですか? ご主人様が探偵を名乗るのは?」
 問われて、彩羽は、少し皮肉な笑みを漏らした。
「そうだよ。雫をひき逃げしたやつは酒気帯び運転だったそうだ。……俺は……悪いやつと戦うことが、雫に対する罪滅ぼしになるような気がしたんだ」
「ご主……」
 彩羽は突然、声を荒げて感情を表に出した。
「でも、分かってるんだ! 俺は、いつだって中途半端なんだ! こんなんじゃ、泣き喚いた母親を振り切って、家出た意味がない……」
 主人のそんな姿を痛々しく思ったコタローは、懸命に励まそうとした。
「そんなこと! そんなことないですよ! だって、ご主人様はおびえながらも変わろうと……」
「犬のお前に何が分かるんだよ」
 斬って捨てるような主人のその言い方に、コタローは少し俯き、悲しそうな顔で唇をかんだが、すぐに顔を上げた。
「ええ! なんとでもいってくださいよ! でも、コタローは、ご主人様のことはよく見てるから分かるんです! 家、出たこととか、変わろうとしたからでしょ? それって、ご主人様にとっては、すごく大きな一歩だったと思うんです! コタローは!」
「…………」
 彩羽は、ティーカップを持ったまま、俯き、何もいわないでいた。それだけではない、全身が、わずかに震えているようにも見えた。
「……ご主……」
「くそ!」
 彩羽は唐突にティーカップを強く置いて、立ち上がった。そしてまた叫ぶ。
「ああ! くそ!」
 コタローはうろたえながら立ち上がる。
「え? え? どうしたんですか? ご主人様ぁ!」
「何で俺は拾ってきた犬なんかに、なぐさめられてんだよ!」
 そう言った彩羽は、ベッドにうつ伏せにダイブした。そして、こう呟いた。
「情けねぇ」
「…………」
「…………」
 沈黙の後、コタローは主人の背中を愛しそうに見つめながら、そっと、声をかけた。
「誰にだって、立ち止まる時があるんですよ……ご主人様……」
「…………」
 また、沈黙が訪れる。主人は何を今思っているのだろうか? それを知ることが出来ないコタローは、切ない表情で動かない主人の背中をずっと見つめていた。
「…………それは、何のドラマのセリフだよ?」
 思い出したかのように、彩羽は言葉を発した。
「え?」
 一瞬。ぽかんとしたコタローは、次の瞬間、
「ち、違いますよ! パクリじゃないですぅ! オリジナルです!」
「ふっ……」
「え?」
「あはははははは……」
 彩羽は突然に声を立てて笑い出した。 「ど、どどどど、どうしたんですかぁ?」
 ご主人様の気がふれた! と、そう思ったのだろう。コタローは、おろおろしながら、主人を心配していた。
 だが心配には及ばず、ゆっくりとベッドから離た彩羽は、ゆっくりと立ち上がった。その顔は、どこか決まりが悪そうでもあったが、わずかに微笑んでもいた。
「でも、使い古されたセリフだよな……。そんなセリフでも……なあ?」
 そう呟いた彩羽はひとつため息をついた後、確りとした足取りで歩いて行って、扉の取っ手を握った。そして、振り返りざまにこう言った。
「行くぞコタロー。いつまで飯、食ってんだ」
 コタローは、一瞬、きょとんとしていた。
「え? 今、『行くぞ』っていいました?」
 それは、一緒に来い、ということなのだと、コタローは気がついた。
「はっ……はい! コタローはご主人様にどこまでも着いていきますぅ!」
 コタローは目を輝かせ、本当に嬉しそうに主人の後を追っていった。

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【フィラ】

「私は、魔法薬の研究をしているのです」
 そう言ったフィラの部屋を、彩羽は興味深げに観察した。
 机には実験具が並べられ、棚には色とりどりの液体や粉末が入ったガラス瓶がたくさん並べられてあり魔術師というよりは、まるで、漫画で描かれる錬金術師の部屋のようだった。それでもやはり魔術師の部屋らしく当たり前のように魔方陣が壁に描かれていた。
 ふと見ると、窓には、やはりあのジオウの作った結界用の朱色の呪符が貼ってあった。
「それは、魔術医とはいわないんだな」
 三人は今、実験机とは別の小さな丸テーブルを囲み座っていた。
 彩羽の問いにフィラは、こくりと頷き答えた。
「はい。魔術医というのは、白魔術の部類に入ります。魔術医は精霊の力を借りて人間や動物の体の隅々を流れる気を調べ、異常がないかを確認します。例えば、心臓が悪ければ、心臓の気の流れが滞ります。それを知り、適切な処置をするのが魔術医です。原因が悪霊や、魔術師による呪いによるものでない限り、魔法薬を処方します」
 学者のような口調で、おそらく彩羽より年下のフィラは簡潔に説明をした。この世界の人間は彩羽たちの世界の人間より精神的に早熟なのだろう。
 話を聞きながらも棚に並ぶたくさんの小瓶をもの珍しそうに見ていた彩羽は、立ち上がり、聞く。
「見てもいい?」
 フィラは立ち上がり、頷いた
。 「ええ。どうぞ」
 コタローも同じように、主人の隣で棚を眺めだした。
 観察しながら彩羽は質問をする。
「死んだと確定する決め手って何? 魔術医にしか分からないの?」
「気が、完全に途絶えてしまうと、その生き物は死んでしまいます。それが分かるのは、触れたときです。魔術医でなくとも、気の読める魔術師は分かると思います。……多分、リングは、ある程度そばに寄るだけで知ることが出来ると思います」
「この棚にある魔法薬は、全部君が作ったものなの?」>
「はい。……魔法薬の製法は、作った魔術師が知る以外は、その弟子に秘伝されることが稀にあるだけなので、容易に手に入らないのです。でも私は知識とマニュアルさえあれば失敗なく作れる魔法薬を研究して世に広めたいのです」
「うわ〜。えらいですねぇ〜」
 コタローが、いたく感心している。
 フィラは少し頬を赤らめて、実験机に乗っていた一冊のぶ厚い本を抱きしめた。
「今は、これまでの研究成果を本にまとめているんです。……そうするように指示してくださったのが……ヨミ」
 声に、少女らしくない調子が含まれていたことに彩羽は気づき、はっとして、振り返る。
 少女は小さな肩をこちらに向けている。そのために彩羽の位置からはフィラの表情が確認できなかった。
 彩羽は思わず眉間にしわを寄せた。
「でも、彼は、評判がよくないよ」
「え?」
 フィラは振り向く。そして彩羽の言葉の真意を測りかねているような顔をした。
「どういう……意味?」
「いや……別に」
 彩羽は目を逸らし、ごまかすように、ふと目に付いた小瓶を手に取った。
「これは、何の薬?」
「それは、仮死の薬です」
「へぇ。お菓子なんですかぁ。それ」
 妙なタイミングで、コタローはバカバカしい合いの手を入れた。
「いえ、その菓子ではなく、仮死状態の仮死です」
 フィラはまじめに答えた。
 彩羽は、無色透明の小瓶に入った仮死状態を作るその薬をじっと観察する。小瓶を傾けると、白くきめの粗い粉が、さらさらと移動する。彩羽はこう聞いてみた。
「この薬。誰かに渡したこと……ある?」
「え? ええ。ヨミに」
 そこでフィラは、はっとした。そして動揺が隠し切れていない声で、独り言のように話し出した。
「でも。彼に渡したのはその薬だけじゃないんです。ヨミが『僕も魔法薬の研究がしたいから』って言って、参考のためにここにあるいくつかの魔法薬を持っていったんです。まさか……でも……ああ! 違うわ! その仮死の薬は、魔術医を騙せません。あくまでも、死に近い状態にするだけですから、気が完全に途絶えるわけじゃないのです。だから、本当に、あの人は……死んでしまった」
 フィラは、悲しそうに目を伏せた。
「あ……あのさ。あの時、君が立っていたのは、ヨミのお墓の前?」
 彩羽は初めてフィラと会ったときのことを思い出して、訊ねた。
 フィラは、無言で頷いた。

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【天才魔術少年】

「ひとつだけ言わせて貰ってもいいですか?」
 少年の問いに探偵は頷いた。
「うん」
「僕、暇じゃないので、手短にお願いしますよ」
「…………」
 彩羽は、少年魔術師に先制パンチを食らわされた。
 その天才と呼ばれているリングの部屋にあるのは、ほとんど本ばかりだった。それも全て相当な年代物のように見えた。その本たちが本棚に隙間なく並べられてある。
 他の魔術師たちとは違って、壁に魔方陣が描かれていないことに彩羽は気づいた。
 そんな彼の部屋にある装飾品といえば、一冊のぼろぼろの本が広げられてある机がひとつと、ベッドが、ひとつあるっきりだった。
 探偵たちは座る椅子もないので立ち話。
 リングは机の椅子に腰掛け、広げた本から目を離さないでいた。
「む〜。なんか、ムカつくガキんちょですねぇ」
 コタローは唇を尖らせて、できるだけ小声でぼやいた。
 リングはこちらを一瞥して言った。
「聞こえていますよ」
「あわわ……」
 漫画みたいな慌て方をするコタローのことは放っておいて、彩羽は聞く。
「ジオウが作った結界の札、貼ってないのか?」
 リングは、本から目を離さずに聞き返してきた。
「何故です?」
「何故って、結界を張っとけて、言ってなかったか?」
「言っていましたね、でも、あの人の作った札を貼っておけとは、誰も言ってないですよ」
 彩羽は妙に納得した。
「ふ〜ん。まあそうだな。天才だから人に頼る必要もないか」
「魔術に関しては……ですよ」
「謙虚なのか、不遜なのか分からないセリフだよな」
「あの、さっき言いましたよね。手短に。と」
 リングのそのセリフに彩羽とコタローの頬が同時にひきつる。
 リングはよやく古びた本を閉じて、彩羽たちのほうを見た。
「僕は、あなたに有意義な話しをすることは出来ませんよ。何も知りませんから」
「何も知らない?」
 彩羽は首を傾げた。リングは頷き言う。
「ええ。僕は、あの人。ヨミの死に顔すら見ていませんからね」
「葬儀に参加してないのか?」
「だから、知らなかったのですよ。彼が死んだと言う事を。全てが終わるまではね」
「なんで?」
「何でって、知らされてないからですよ。僕が忙しいだろうから、知らせるのはよした……と、ラウさんが言っていました。それに、僕だけじゃないですよ、あの、おしゃべりな男レックスは、ヨミのための墓穴を掘る手伝いはしたそうですが、葬儀には参加していないと聞いています」
「仲間なのに……」
 そう言ったのは、コタローだった。
「別に仲間意識なんかないですけど」
 それが、さも当然のような口調で、リングが言った。
「俺が気を失ってる間に葬儀を済ませたんだな。俺、どれくらい寝ていたんだ?」
 彩羽は少し考え込む。
 リングが答えた。
「そんな長い間寝ていたわけじゃないと思いますよ。ヨミが死んでいるとわかってから、墓に入れられるまで、さほど時間をかけていないはずですから」
「随分と、あっさりした別れだな」
「そんなもんですよ。葬儀自体簡略に済まされたでしょうし、もしかしたら、司祭すら呼んでいないかもしれませんね」
 彩羽は所長ジオウの言葉を思い出して、聞く。
「ここは、部外者を歓迎しないから?」
 リングは頷いた。
「ええ。そうです」
 その答えを聞いて彩羽は、少し寂しそうに呟いた。
「そうか……。ここは……魔術研究所は、閉じられた世界……。なんだな」

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【コタローの推理】

「そろそろ何か分かってるんじゃないですかぁ? ご主人様」
 コタローがそう訊ねた。
 淡い光を投げかける太陽の下。ピロティーの大きな円柱に凭れながら、手入れのされていない庭を眺めて、彩羽は、ひとつあくびをする。
「全然何も。ただここって、案外普通の世界だよな。魔術師も万能って訳じゃないみたいだし」
「そうですよね。もっとひどい目に遭ったりするんじゃないかと思っていましたけど……。でも〜。ご主人様、探偵の才能ないんじゃないですかぁ?」
「そ〜いうお前は、何か分かったのかよ」
「…………」
 何故かコタローは黙り込んだ。じれったく思って彩羽は短い言葉で問う。
「なんだよ」
 コタローはぽつりと答えた。
「……犯人が」
「誰?」
「……言ったら、ご主人様……悲しむから」
 コタローは庭に置かれたベンチに腰掛けている。彩羽の居る場所からは、背中しか見えない。
「まさか、雫が……フィラが犯人だなんていうんじゃないだろうな?」
 彩羽がまた問う。すると、コタローは少し言いにくそうに口を開いた。
「……殺したんじゃないですよ……死んじゃったんです」
「うん。どういうことなんだ?」
 コタローは、黙している。
「いいぜ、怒らないから話してみろよ」
 主人にうながされ、コタローは安心したのか、こくりと頷いた。
「あの仮死のお薬は実は失敗作だったんです。それを知らずにフィラはヨミに渡して、ヨミも知らずに効果を確かめるために服用して……」
「死んじゃった……てか?」
 こくり、と、コタローは頷いた。
「笑い話だな」
「笑い事じゃないですよ! だって、人一人死んでるんですよ!」
 コタローは立ち上がり、振り向いた。
 彩羽はまじめに答えてやる。
「失敗作ねぇ。その失敗作をフィラは知っていてヨミに渡したかもしれないぜ」
「そ、そんなことないです!」
「どうしてそう言える?」
「そういうことする子じゃないです」
「わかんないだろ、そんなこと。そもそも薬は本物なんかじゃなくて、フィラは劇薬を仮死の薬だと偽って渡したかもしれないぜ」
 コタローはきゅっと唇をかみ締めた。
「ご主人様は、フィラが犯人だと思っているんですか?」
 彩羽は視線を落とす。
「何の根拠もないお前の妄想は、推理って言わない、って言いたいんだよ」
「! そっか。そうですよねぇ。フィラは、犯人じゃないし、フィラの薬のせいで死んだわけでもない!」
 コタローは、ほっと、胸をなでおろした。だが、彩羽はまた、その言葉も否定をする。
「それも分かんないだろ。お前の仮説を裏付ける証拠が出てこないとも限らない」
「なっ! ご主人様は、やっぱりフィラが犯人のほうがいいんですか?」
「そんなわけねぇだろう!」
 やや怒ったようにはき捨てて、彩羽は歩き出した。
「どこ行くんですかぁ?」
「部屋に戻って一人で考えたいから、ついてくんなよ」
 つれない主人の背中を見送りながら、コタローは唇を尖らせていた。

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