IROHA POETRY

イロハ詩

第四章 ヨミ


「お! おおおおおお追え!」
 我に返ったレックスは、そう叫び、いの一番にヨミの亡霊を追って走り出した。
 コタローも、キッと、表情を引き締めてその後を追う。
 ヨミは、走りながら、皆を挑発するかのように何度か振り返った。
 足の速いコタローは、前行くレックスに追いついて、その後は同じペースで駆けた。
 ヨミの亡霊は、いったいどこへ向かっているのだろうか。研究所内のことがよく分からないコタローには、さっぱり見当がつかない。
 階段を下る。
 暗闇の、迷路のような研究所内を、ヨミは相変わらず、振り返り、振り返りしながら走り続けている。
 そんなとき、ヨミがある角を曲がった。
「しめた! そっちは行き止まりだ!」
 レックスが嬉しそうに叫んだ。
 だが、ヨミを追って同じ角を曲がったレックスとコタローは目を疑った。
「! いねぇ?」
 レックスがそう言った通り、いるはずのヨミの姿が何故かどこにもなかったのだ。レックスは、恐怖のせいか、それともバカバカしさのせいか声を立てて笑い出した。
「ふっ……あはははは。やっぱり亡霊だ! ヨミのやつが、瞬間移動なんて出来るはずがない。出来ればとっくに、大魔術師だ!」
「レックス!」
 ラウが追いついてきた。
 コタローがその声に振り返るとリングと、フィラもいた。
 レックスは動揺しているせいか、一人でぺらぺらと喋りだした。
「ラウ。あいつ亡霊になって、俺たちの前に現れやがったぜ。いや、違う! あいつに限って、この世に未練があろうとも、俺たちと別れるのが名残惜しかったなんてことは、ないはずだ。そんなヨミが、わざわざ亡霊にまでなって俺たちに会いに来るもんか。そうか……どこかにいるんだ。この六つの部屋のどこかに!」
 レックスは、鋭い目つきで狂ったようにそう叫んだ。
 ヨミが消えたのは、コタローと彩羽、ラウにフィラ、そしてリングの使用している部屋がある廊下であった。レックスは指差し叫ぶ。
「おい! お前ら、自分の部屋を確かめろ!」
「ふう。いつから、あんたがリーダーになったんだか」
 面倒そうにため息をつきながらも、リングは一応は、言われた通りにするために部屋へと向かう。
 ラウとフィラも黙って歩き出した。レックスはコタローを睨みつけた。
「お前もだ。お前の部屋も確認しろ!」
 不愉快そうな顔をしながらも、コタローは自分にあてがわれた部屋を開けた。
「どけ! やっぱり俺が調べる」
 レックスは、コタローを押しのけ部屋に侵入する……が、当たり前のようにそこには何もなかった。
 レックスはベッドの下まで覗いたが、そこにも勿論いなかった。
 殺風景なこの部屋には、そのベッド以外には特に隠れるところもなく、窓には確りと結界用の呪符も貼られていた。
「くそ! いねぇか……」
 諦めてレックスがコタローの部屋から出ると、ラウたちも廊下に出て待っていた。
「別に変わったところはなかったわ。納得できないなら、自分の目で確かめなさいよレックス」
 そう言ってラウは、自分の部屋を開け放つ。
 ラウが言うように、特に変わったところはないようだった。レックスは遠慮なく部屋に入り色々と確認していたが、やはり変わったところなどないようだ。
 そのラウの部屋の窓にも、やはりジオウの作った結界用の札が貼られてある。
 同じようにフィラと、リングの部屋も全員で確認したが、当たり前に何も変わったところは確認できなかった。
「あと、二部屋だ」
 レックスは未使用の部屋の前に立つ。そして訊ねた。
「この部屋は、封印がしてあるんだよな?」
 リングが答える。
「ええ。ジオウが死んで封印が弱まったので、僕が昼の間に新しく封印しなおしましたよ」
「じゃあ、こっちだ」
 そう言ってレックスは180度回転し、彩羽のいる部屋を睨みつけた。
「そこもないでしょうよ。あんたが僕に言ったんだ、強力な結界張っとけ、って」
 だが、レックスは納得しなかったようで、扉を見つめたままこう言った。
「開けろ。リング」
 リングは、ちょっとムッとしたようだったが、言い争うのも面倒だったのか、しぶしぶと扉に掌を当て、淡いピンクの光を放った。
 リングがドアから離れるやいなや、レックスは前に進み出て強く戸をたたいて声を荒げた。
「おい! 開けろ!」
 扉は、まるで待っていたかのように、すぐに口を開けた。
「な! どけ!」
 一瞬驚いたレックスは、彩羽を押しのけて部屋へと侵入する。
 彩羽は、そんなレックスを一瞥したあとコタローへと視線を移し訊ねた。
「何があったんだ?」
「ヨミが……出たんです」
 コタローがその名を出しても、彩羽は別段驚きもしなかった。
「ふ〜ん。道理で騒がしいはずだよな」
「っくそ! いねぇ! おい! お前! どこに隠したんだ!」
 叫びながらレックスは、彩羽の肩を掴み無理やり振り向かせた。彩羽は呆れた様子で言葉を返した。
「隠したって、手品師じゃないんだから」
 レックスは何かを思いついたようで、彩羽を睨みつけながら、また一人で喋りだした。
「そうか……アレは幻影か。お前は幻影を見せて俺たちを混乱させるつもりだったんだな! くそ! 俺はお前なんかに殺されねぇぞ!」
 叫びながらレックスは、彩羽を突き飛ばして背を向け歩き出した。そして、数歩進んだレックスは振り返りざまにこう言った。
「お前ら全員、死にたくなかったら扉にも結界張っとくんだな。それからリング! そいつをより強力な結界で、もう一度部屋に閉じ込めとけよ!」
 そう言ってレックスは去っていった。
 フィラは俯いたまま静かに部屋へ戻っていく。
「はぁ。なんだか私……疲れたわ」
 そう言いながら、こめかみを押さえたラウも部屋へと帰った。
 残されたのはリングと、コタローと彩羽の三人だった。
 リングは彩羽の部屋のすぐ脇の壁にもたれかかっていた。
「結界……張らないのか?」
 リングは、問う彩羽に一瞥もくれずに言った。
「本気で言っているんでしょうかね? あの男は?」
 そして横目で彩羽を見上げる。
「あなたから発散されているエネルギーは、あまりにも弱々しい。幼児以下だ。それで、幻影を作り出したり、この僕の結界を破ったりなんて出来っこないでしょう? つまり、あなたは犯人じゃない」
 捨て台詞を残してリングも部屋へと戻っていった。
 彩羽はその背中を見つめながら呟く。
「何か……助かったんだけど、ムカつくな」

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【墓をあばく】

 ヨミの亡霊事件から数時間後。ラウはコタローの部屋の戸を叩いた。
「コタロー?」
 だが、中からの返事はない。
「いない……の?」
 ラウの顔が不安に曇った……。

「イルフさんにシャベル借りて来いって言うから、訳も聞かずに借りてきましたけどぉ。ご主人様ぁ。バチ当たっちゃいますよぉ?」
 と、コタローは言った。空には、強く存在を主張する大きな月が煌々と輝いている。
「うるせぇ。お前犬だろう? 犬なら黙って、ここ掘れわんわんだ」
「? 何言ってんですか?」
 仕方なくコタローは主人の隣で土を掘りだす。
 そこは重量感のある石の置かれた前……ヨミの眠るお墓だった……
「よし! 棺が見えてきたぞ!」
 黙々と作業を続けていた彩羽は棺の一部を見ると、土を掘るペースを上げだした。そしてとうとう、長方形をした木製の棺は月下にその姿を現した。
 しばらく無言でその棺を見つめていた彩羽は、ゆっくりとした動作で、蓋をはずした。
 無言で彩羽は中を見つめている。
 コタローも恐る恐る棺の中を覗き込んだ。
「! ご主人様!」
「ああ」
 そこには、あるはずのものがなかった……。
 冴え返る月に照らされて、浮かび上がるはずのヨミの死体が……
「……やっぱり、俺のせいなのかな? ……ジオウが死んだのって」
 彩羽がぽつりとそう呟いた。コタローは首をかしげて聞き返す。
「え?」
「俺が、もっと早く、事件を解決していれば……」
 彩羽は悔しそうに拳を握り締め、唇をかんだ。
 辛そうな主人を見て、コタローは泣き顔になりながら首を横に振った。
「そんなこと……そんなことないです。まだ間に合いますよぉ。まだ……」
「そうだな……まだ」
 顔を上げた彩羽の瞳に、ほのかな光が宿ったのを、コタローは見逃さなかった。
 それは、月明かりが反射しただけのものだったのかもしれない……だが、コタローは、それは、主人の静かな闘志なのだと、そう理解した。

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【また一人】

 彩羽が墓をあばいている頃、レックスは死んだジオウの部屋にいた。
「あった、あった〜」
 ふと目を上げると、窓に貼られた朱色の結界用の呪符が目に入った。レックスはそれを見て皮肉な笑みを漏らす。
「ふん。役に立たなかったじゃねぇか……。まあ、いかれた犯人が中にいたんだから当然か。そんなことより……」
 レックスが手にしているのは、ジオウの部屋においてあった、たくさんのノートだった。
「へへへ。随分とたくさんの研究が残されてるじゃねぇか。これも……これも。まだジオウは世に出していねぇ」
 嬉しさのあまりレックスの顔の筋肉が緩む。
 それらのノートを確りと抱え、ジオウの部屋を去ろうと戸に向かたレックスの前で、ゆらりと影が揺れた。
「!」
 レックスはハッとする。
 結界が張られた窓から注ぐ月光に照らされて、その影の正体の姿が明らかとなったとき、レックスは、真っ青になり思わずノートを落とした。
「ヨ! ……ヨミ! な……何で俺の前に?」
 そう、そこに現れたのは紛れもない、ヨミだった。
「ああ!」
 我に返り、慌ててノートを拾おうとしたレックスの手を、ヨミは踏みつけた。
「うっ!」
 レックスは、手を引っ込める。
「お前……」
 そう呟いたレックスは、座ったまま後ずさりして、首を振った。
「ああ! 違う! こいつ! 亡霊でも、幻影でも……!」

 ぬばたまの夜。その深き闇は魔物を召喚し、魔力秘めたる冷たき月の輝きは、ただそれを照らし出す……

 そのときレックスは、助けを呼ぶ声さえも上げられなかった……

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【謎をあばく】

「こんな時間に集合かけて、何かあったの?」
 ラウは何かを感じ取ったのか、不安そうにそう聞いた。
 もう睡眠をとっていたのか、フィラは少し眠気眼だった。
「レックスは?」
 ラウの問いには答えず彩羽がそう聞くと、使用人のイルフが質問に答えた。
「お部屋を訪ねたのですが……」
 イルフは言葉尻を濁した。彩羽が聞く。
「いなかったのか?」
 イルフはコクリと頷いた
「はい。ドアには鍵もかかっておらず結界も張っておられなかったものですから、勝手に中を確認させていただきました。ですが、そのお姿が見当たりませんで……。他にも、レックス様がおいでになられそうなところを探しましたが、やはり、お姿が見えず……。あの、もう一度探してきましょうか?」
「ああ、そうしてくれるか」
「はい」
 軽く頷いて、イルフは彩羽の部屋を出て行った。
 彩羽はそのまま俯いた。
 無言《しじま》が満ち、重い空気を作る。
「ご主人様」
 コタローにつつかれて、彩羽は俯いたまま、ぽつりと語りだす。
「俺なりに、答えを出すことが出来たんだ。だから、一応、みんなに聞いてもらおうと思って……」 
「ご主人様! もっと、自身持ってくださいよぉ〜」
「つまり、犯人が分かったってことなんですね?」
 リングが壁にもたれかかりながら、そう聞いた。彩羽は弱々しくに頷いた。
「たぶん……」
 一瞬の沈黙。その後、彩羽はやはり俯いたまま、ぽつりぽつりと語りだす。
「俺は、さっき気になることがあって、ヨミの墓を発いたんだ……。そしたら、思ったとおり、無かったんだ……。ヨミの死体が」
 誰も何も言わなかった。それは、その事実に薄々気づいていたからなのか、それとも、知っていたからなのか……。彩羽は言葉を続ける。
「やっぱりヨミは、生きているんだ……。ヨミは生きていて、ジオウを……」
「ちょっと待って」
 話に割り込んだのはフィラだった。だが彩羽は悲しそうに頭を振りそのまま言葉を続けた。
「ヨミには共犯がいたんじゃないか? 俺は、そう考えたんだ……」
「共犯」
 そうつぶやいたのはリング。彩羽は頷く。
「ヨミの共犯として、適切な人物は、たった一人しかいない」
 彩羽は、辛そうに顔をゆがめ、ゆっくりと、視線をその人物に移した。そしてその名を呟く。
「……ラウ」
 ラウは、目を伏せ、じっと黙していた。
「否定をしないのなら、ゆっくり説明していくから……。でも、俺の推理は完璧じゃない。間違っているところで、指摘して欲しい」
 自分の推理が間違っていることを願っているようなセリフの後、彩羽は、再び語りだす。
「ヨミは多分、フィラから貰った仮死の薬を服用したんだ。フィラから聞いたが仮死薬は、魔術医を騙すことが出来ないのだという。だがその魔術医のラウは不思議と騙された……。いや、騙されたのではなく生きていると分かっていて、死んでいると診断したんだ」
 ラウは、じっと動かず、否定しようともしない。
 彩羽は、また苦痛に顔をゆがめ、続ける。
「弱々しい気の流れまで読むことの出来るリングはある程度そばによるだけで、その状態が仮死なのか本当の死なのか判断することが出来るという。そのリングをヨミの葬儀に呼ばなかったのはラウの判断だよな?」
 やはり答えはない。彩羽は続ける。
「ジオウの死体が見つかった前夜……多分、犯行が行なわれたその夜。ラウはコタローの部屋にいた。それはアリバイ作りのためだった……。ヨミの目論見を成功させるにはラウが共犯であると疑われてはならなかったからだ。ラウはコタローと雑談をして時間を潰し、皆が寝静まった頃合いを見計らい、コタローの部屋からヨミに合図を出す。『私のアリバイは完璧よ。だから、実行するなら今日よ』そういう合図だ。お陰で、コタローにもアリバイが出来たんだ」
「彩羽」
 途切れそうな声で、探偵の名を呼んだのはフィラ。
 フィラは、挑むような視線を彩羽に投げかけた。そして言う。
「全部妄想よ! 彩羽の!」
「…………」
 彩羽は悲しそうな瞳をフィラに向ける。フィラは首を振りながら否定を続けた。
「ヨミは死んだのよ! だから、ラウの診断は間違ってないし……それに……」
「まだ、話が終わっていないですよ」
 ラウを懸命に擁護しようとするフィラの言葉をリングがとめた。フィラは瞳に涙を溜めて、言葉を詰まらせた。
「続けてください」
 リングに促され、彩羽は頷き続ける。
「俺は、ラウがコタローの部屋にいるときに、ラウの部屋を訪ねているんだ……。その時、部屋に勝手に入ってしまって……。月が、あまりにも綺麗だったから、ふらリふらりと、窓に向かって歩いた……。そして、そっと窓に手をかけたんだ……。そしたら、開いたんだよ。これはつまり、わざわざ俺やコタローの部屋にまでジオウが作った結界用の札を持ってきてくれたラウの部屋の窓には、結界が張られていなかったということなんだ」
 ラウは、まぶたを強く閉じ、何かにじっと耐えているような様子を見せている。彩羽もまた、辛そうに導いた答えの方程式を語っていく。
「俺がレックスによってこの部屋に閉じ込められている間に、ヨミが現れたんだよな? 皆が追ったヨミは、この部屋の前の廊下で消えている。その時もヨミはラウの部屋から外へ出て行ったんじゃないのか? レックスや他の人間が、ラウの部屋に入る前に、ラウは結界の呪符を張りなおしたんじゃないのか? さも初めから、そうであったかのように見せかけたんじゃないのか? ラウの部屋がヨミの出入り口……だったんだよな?」
 ヨミを追っていったときの様子を、彩羽はコタローから聞いていた。
 コタローによると、皆は各々の部屋を確認しその間、コタローはレックスとコタローの部屋を調べていたという。つまりラウには呪符を張りなおす時間くらいは、あったのだ。
 ラウがゆっくりと、顔を上げ、何かを語ろうとしたとき、イルフが駆け戻ってきた。
 真っ青な顔の使用人は、辛そうに顔をゆがめるラウを一瞥し、少し動揺したようだったが、すぐに気を取り直し、
「大変です! レックス様が! ジオウ様のお部屋で、亡くなっておいでです!」

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【目的】

 暗闇に支配された廊下をただ走る。
 彩羽もコタローも、イルフもフィラも、リングもラウも……
 先行く主人が開け放たれたままだったジオウの部屋の前で膝から崩れ落ちた姿を見て、コタローは慌てて主人のそばに駆け寄った。
「ご主人様!」
「あ……あ、あああああああ!」
 主人はそんなおびえた声を出した。コタローは懸命に呼びかける。
「ご主人様! ご主人様! 確りしてください!」
 彩羽の目は見開き、うつろな瞳。そして恐怖のためにか全身が震えていた。そんな彩羽は、わななきながら自分を責めだした。
「また……。また、間に合わなかった……。俺のせいで……また、人が、死んだ!」
「ご主人様」
 そんな主人を哀れみながらもコタローは視線を部屋へと移した。確かにレックスはジオウの部屋で、おびただしい血にまみれて、うつ伏せに倒れていた。
 追いついたほかの者たちも、レックスの無残な姿を見て顔をゆがめる。
「もう嫌だ! 誰も、何も殺すなよ!」
 彩羽は悲鳴のような叫びを上げた。
 その姿を見てラウは、とうとう膝から崩れ落ち苦痛に満ちた声で訴えた。
「もう、終わりにしましょう。ヨミ! 私は、もう……」

「もう? 何だ? ラウ」  

 騒擾《そうじょう》と、騒擾の間の一瞬の無言《しじま》を縫うように、その、場にそぐわない落ち着いた声は響いた。
 すると、奥にある大きな背もたれのついた立派な椅子が、ゆっくりと、回転する。ラウは現れた人物を見て、悲しげにそれでいて慕わしげに呟いた。
「……ヨミ……」
「ふふ……。何だそんな顔をして。らしくないな。ラウ」
 そう言ってヨミは腰を上げ、こちらに向かって、二歩、三歩、進んだ。そして言う。
「どうやら、ミスキャストだったようだ。異世界から来た探偵さん。あんたには、犯人役をやってもらうつもりだったのにな」
「ぬれ衣を着せるつもりだったんですね! 最低です!」
 コタローが噛み付かんばかりの勢いで非難した。ヨミは笑った。
「くく……。最低だとよ……ラウ」
 皆が一斉にラウへと視線をやった。
「……」
 ラウは唇をかんでいる。ヨミはまた不気味に笑い語りだす。
「ふふ……。探偵さんを真犯人役にキャスティングしようと言い出したのは、ラウだ。だが。どうする? ラウ。失敗だ。全員始末して、お前が犯人役を買って出てくれるか?」
 その時、フィラがヨミの前に飛び出した。
「なんだ。フィラ」
 ヨミは、切れ長の目で微笑んだ。フィラは信じられないとでも言っているかのような声で、問う。
「どうして? どうして、こんなこと……?」
 ヨミはそっとフィラの頬を両手で包んだ。
「知りたいかい? そうだねフィラ。君には、ちゃんと教えておいてあげなければね」
 そう言って、背を向け歩き出したヨミは、また、あの大きな背もたれのついた椅子に腰を下ろした。そして言う。
「僕の行動原理なんてのはね、いつも至極単純だ。これは、世の理……。社会というのは、一見ややこしく見えるが、実のところ勝敗だけが全てを決している。僕は、勝者になるための行動を起こした。ただそれだけ」
「勝者?」
 首を傾げたフィラの瞳に、ほんのわずかな不信の色が浮かんだ。ヨミは微笑む。
「そ〜う。僕にとっての勝ちは、大魔術師の肩書きを手に入れることなんだ」
「そ……そのために、レックスやジオウを殺したの?」
 聞きながらフィラは、涙を滲ませている。ヨミは悪びれた様子も見せずに答えた。
「僕は考えたのさ、フィラ……。君の薬を使って死した後に蘇るパフォーマンスをする。たったそれだけでも世間は僕を大魔術師として認めるだろう。だが、それだけではボロが出るのもおそらく早い。僕が大魔術師として、その地位を確立するには、必要だったのだよ……。彼らの研究結果が」
「……わ……私も? 私も殺すつもりだった? 私の研究結果が欲しいから! 私に、今までの研究を書きとめて置くように、そうアドバイスしてくれたのは、そのためなの?」
 震えた声で、問い詰めるように、フィラは聞いた。ヨミは笑う。そして穏やかな声でフィラにこう語りかけた。
「くすくすくす……。可愛いね、フィラは。僕はね君が黙って僕に協力してくれるのなら、君を大事にそばに置いておくつもりなんだよ」
「狂っていますね」
 淡々と、そう批判したリングをヨミはジロリと睨み付けた。
「狂っている? ふふ。それが勝者の本質だぞリング。そう、何かひとつの物事に執着するさまはまさに狂気。だが、その執着なくして勝利は得られない。勝者は皆、狂人。いや、狂人でなければ勝者となり得ないのだ! だからリング、そんなまともな様子では、たとえ永遠の命があったとしても、お前が勝者になることは無いぞ?」
「ふん。永遠の命なんてほしくないですし、あなたは大魔術師を目指すより新興宗教でも開いたほうがいいと思いますよ?」
「くく。面白い……。だが、それでは世間の糾弾を受けてしまうではないか。僕はいつでも抜かりが無いのだよ……。そう抜かりが無いのだ」
 ヨミは突然、険しい顔つきになり立ち上がった。
「今回も、完璧なはずだったのだ。なのに……裏切り者が現れた……。ラウ!」
 ラウは、ビクリと体を震わせて、おびえた目をヨミにむけた。
 ヨミはゆっくりと、ラウの元へ歩んでいく。そしてラウに語りかける。
「矛盾した女だ……。お前は異世界の男を犯人に仕立て上げようと、この僕にアドバイスしておきながら、その男に助けを求めているな?」
 ラウは震えながら、懸命に弁解をした。
「……ごめんなさい。……私には、あなたをとめることが出来ないから……。だから、彩羽なら!」
 具合が悪そうに蹲りながら、じっと彼らの会話を聞いていた彩羽は、ここで、やっと、顔を上げた。そして見つめる……ラウの小さな背中を……
 コタローは、聞き逃さなかった。そんな主人の消えそうな声を……。彩羽は言った、「ごめん……」と。
 ヨミは、ラウと密着しそうなほど近くに寄ってきていた。
 ラウは唇を震わせ、目を伏せて繰り返す。
「あ……愛しているの……愛しているの……」
「ただそれだけなら可愛かったのだ」
 冷たい言い草をし、ヨミは呼吸をするかのごとく自然に、ラウを突き刺していた。
「うう!」
 皆がそれに気づいたときにはすでに、ヨミの袖に隠されていた短剣がラウの体を上方に向かって切り裂いていた。
 ラウは持ち上げられた形で宙を舞い、鮮血を撒き散らし床に倒れた。
 ヨミは切り裂いたときの体制のまま不敵に笑む。高く掲げられた短剣から、ラウの赤くて綺麗な血が滴った。
「キャアーーーー!」
 フィラが悲鳴を上げた。
 リングはヨミを睨みつた。
 イルフはへたり込み、呆然とした。
 コタローは、こぶしを握り締め怒りわなないていた。
「ラ……ラウ! ラウ! ラウ!」
 彩羽は、まだ息のあるラウのそばに駆け寄りラウの頬に触れた。
「ああ! ごめん……。ごめん。ラウ! 俺が、俺がもっと早く気づいていれば!」
 その声で、ラウは彩羽がそばにいることに気がつき、ゆっくりとまぶたを開けた。
「……彩羽。ごめんなさい……。ごめんなさい……」
 消え入りそうな声でそれだけ言うと、ラウの息は、ふつりと途絶えた。
「ラ……ラウ! ラウ! ラウ!」
 返事のない呼びかけが、空しく響いた。

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【月下の決戦】

「あ……。ラウ……」
 彩羽は、止め処も無く流れる涙をぬぐおうともせず、ヨミを睨み付けた。
「お前にとって人の命は、自分の野心よりも軽いのか?」
 ヨミは、いつの間にやら、また、椅子に腰掛けていた。そして彩羽の問いに答える。
「僕にとって、では無い。誰にとってもだ。彩羽」
「! 俺は違う!」
 彩羽の強い否定を、ヨミはまた否定した。
「お前には野心が無いだけだ。……この僕の命さえも誰かの野心の前では軽んじて見られるものだ。そんなことも承知で人は生きなければならない。まさに喰うか喰われるか。だから人は喰われぬ為に細心の注意を払い、最大の防御を心がけねばならないのだ。だが、さて、この世のほとんどの人間は、あきれるほど無防備だ。まるで我々勝者のために、我々勝者の食い物となるために生きているようだな」
 ヨミはまた、椅子から立ち上がり、言った。
「さ〜て。どうしたものかな? やはり異世界からの来訪者には犯人をやってもらって、後は始末してしまうのがよさそうだな」
「それは、この僕にけんかを売っている。と、言うことですね?」
 リングがヨミに挑発をした。
「くくく……。リング! 自惚れるのも大概にしたほうがいい。僕がお前に勝てないと、そう思っているのだろう?」
「当然でしょ?」
 しれっと、リングが言い放ったとき、ヨミが唐突に叫んだ。
「見せしめだ! 殺れ!」
 次の瞬間、ガラスの粉砕音と共に、黒く太い鞭のようなものが、ヨミの背後から伸びてきた。そして、それはあっという間に彩羽の首に絡みついた。
「ぐ! うううっ!」
「ご! ご主人様!」
 コタローは主人に絡みつくその、ゴツゴツと硬いものを懸命に引き剥がそうとするが、ビクリともしなかった。
「ふふ。見ろ、結界など、こうも簡単に破るのだ! 我が契約せり悪魔は!」
 ヨミは恍惚と叫んだ。
 彩羽を締め付け伸びるその黒い物体は、よく見ると腕のようである。たどると、その先の、窓の向こうに、黒く大きな異形の生物が息づいていた。
 リングは顔色ひとつ変えずに、彩羽に巻きつく悪魔の腕を握り締めた。
 するとたちまちにリングが握り締めた腕から煙が上がった。さすがに、悪魔もたまらなかったのか、彩羽の首からから腕を放し、すばやく引っ込めた。
 リングは横目でヨミを見て言った。
「破られたのは、ジオウの結界だから……ですよ。ヨミ」
「ふっ。強がっていられるのも今だけだ。さあ、決着をつけよう! その力があるにもかかわらず、悪魔と契約をしない臆病な天才。リング!」
 そう叫んでヨミは、割れた窓から外に飛び出ていった。そして、こちらに振り返り、リングを手招きした。
「さあ、来い」
 亡霊が笑っている。死んだはずの、ヨミが……笑っている。
 リングは珍しく、面倒がらずに挑発に応じ、窓から外へと出て行った。
 月下に二人の魔術師が立つ。その対極の二人を彩羽は息苦しそうに、コタローは夢でも見ているかのような目で見ていた。
 ヨミが片手を挙げると、ゆらりと、巨大な悪魔が動きだした。
 胴が長くトカゲのような尻尾を持つその悪魔は、手が鞭のようにしなり、長い足は胴の中央から、がに股気味に飛び出ていた。
 そんな不安定なバランスを持つ悪魔は、猛スピードでリングに突進する。
 だがリングは顔色ひとつ変えずに、ヨミに語りかけた。
「悪魔と契約? いかにも野心が強い非力な魔術師のやりそうなことですね。何かを代償にして、悪魔の僕となってまで悪魔の力を借りなくてはならないなんて、まったく、憐れです」
 ヨミは目を見開き怒りをあらわにした。
「何!」
 そんなヨミを横目で見ながらリングは、悪魔が目前に迫ったところで身軽に高く飛び上がった。そして掌に白い光を作り出し、その手で悪魔の頭をワシ掴みにし、勢いよく悪魔を地面に叩きつけた。
 その衝撃で、地が轟き爆風が起こった。
 あたり一面が砂塵に包まれる。
「僕のような天才には、契約なんて必要ないんですよ」
 そんなリングの言葉と共に、砂塵が晴れていく。
 月明かりが天才を称えるように、その姿を照らし出す。
 リングは無表情で言った。
「悪魔は、力で従わせますから」
 悪魔の顔は地面に埋もれ、リングの手の下でかすかに震えていた。
「くっ!」
 ヨミは少し後ずさりして、唇を噛んだ。
 リングは悪魔の頭を持ち上げて耳元で何かつぶやいた。悪魔は一度深く頷くと、立ち上がりヨミを見据える。
 そして、低くくぐもった声で悪魔は言った。
「契約は打ち切りよ。ヨミ」
 目を見開き驚くヨミに向かって悪魔は猛進していく。そして悪魔は自慢の腕を伸ばしてヨミの体に巻きついた。
 ヨミは逃げる暇なく、己が召喚した悪魔に捕らえられてしまった。
「あっけなさ過ぎますよ……ヨミ」
 リングが、つまらなさそうに、そう言った。

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【憎まれ口】

「さて、どうしますか? あなたが決めてください。探偵さん」
 捕らえたヨミに背を向けて、リングは彩羽に視線を向けた。
 彩羽はまだ少し息苦しそうにしながらも、ゆっくりとヨミに向かって歩いていった。
 その脇を何かが駆け抜けたようだった。
「イルフ?」
 気がつき彩羽はその名を呼んだ。そう、彩羽の脇を駆け抜けたのは、使用人のイルフだった。ヨミに向かって一直線に駆けているそのイルフの手元で何かが光った。
「はっ! ダメだイルフ! リング、イルフを止めろ!」
 気づいた彩羽が息苦しそうに叫んだ。リングもそれに気づく。
「ヨミーー!」
 イルフは、その口から発せられたとは思えない殺気のこもった声で、ヨミの名を叫びながら、手にしているナイフを振り上げた。
「ちっ! 何の取り柄も無い人間ごときが!」
 こんな状況でもイルフを罵倒しているヨミの寸前で、ナイフがピタリと動きを止めた。
 イルフは叫んだ。
「な……な……何故! 何故止めるのです! リングさん」
 イルフはリングの生み出した光の縄で動きを封じられていた。イルフは悔しそうにヨミを睨み付け言った。
「この男は、ラウさんを!」
「! あんた、ラウのこと……」
 そう呟きながら彩羽は、まじめな使用人イルフを初めて確りと見た。悔しいのだろうか? イルフは震えている。
「なぜ? ラウさんまでも、このような男に……! ッくそ! 貴方たちに、大切な人を失った気持ちが分かりますか?」
 イルフは訴えるような目で、彩羽たちを見た。
 答えられるものはなかった。
 だが彩羽は、イルフの前に立ち、目を伏せ、眉間にしわを寄せて言った。
「分かるよ……。でも……お前がそのために、罪を背負っちゃダメなんだ」
「!」
 イルフは驚いた顔をした。彩羽は言う。
「後は、魔術警吏の仕事だよ」
「……っ!」
 イルフはナイフを落とし、無念の涙を流した。リングの光の縄が解けると、今度は崩れ落ちて泣いた、ラウの名を何度も、何度も繰り返しながら……
「ふん。泣きたいのは、僕のほうだな……。こんな人とまともに目もあわせることが出来ない、力も無い、出来損ないに見破られたせいでこんな無様な結末になったのだから……」
 ヨミはこの期に及んで憎まれ口をたたいた。
「……そうだな。俺は、出来損ないだよな……。でも……」
 そう答えた彩羽は鋭い目つきで、ヨミを睨み付け、言い放った。
「お前は、敗者だ」
 ヨミはその言葉から受けた激しい衝撃を、その顔にまざまざと表していた。

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