THE DEVIL OF MERINTS APARTMENT HOUSE

メリンツハイツの悪魔

第一章

 (一)

 吹きすさぶ風。
 人も、羽虫さえも通らない荒地。そこに建つ石造の館。

 純金の燭台に揺れる炎、揺れる火影。
 壁に掛かる、色褪せた名画達が浮かべる不気味な微笑。
 そんな仄暗く、薄気味の悪い部屋に数人の男がいる。
 一人は艶やかな黒い髪を持つ男で、茶色いスーツをきっちりと着こなしている。男は、普段は穏やかな眼差しをしているのだが、今は、獲物を捕らえた豹のような鋭い眼光を放っている。そしてその顔に不適な笑みを同時に浮かべていた。
 一人は、白に近い灰色の髪を持つ男。白い三つ揃えのスーツをピシリと着こなしているその男は瞳に蛇のような、冷酷な光を宿していた。そしてその目は切れ長で、丸眼鏡をかけたその顔には冷笑が浮かんでいる。
 黒髪の男は一人だが、灰色の髪の男の周囲には男を守護するように数名の黒スーツの男が囲んで立っていた。
 磨かれたマホガニー製の机の椅子に腰を下ろしている灰色の髪の男が、微かに嗄れた声で言った。
「何故、邪魔をする?」
 その数メートル先、やはり磨かれた木製の扉の前に立っている黒い髪の男は軽い調子で返事をした。
「そういう仕事だもの」
 その返答を聞いた灰色の髪の男は、わずかに目を細めた。
「成程、納得のいく返答だな」
 そう答え、灰色の髪の男は考え込むような仕種をする。
 暫し黙していた灰色の髪の男は、また口を開いた。
「お前が……私のゲームの邪魔をしたのは、もう五度目。そして、私の元へたどり着いたのは二度目……。どうだ、私と共に……」
「嫌ですよ」
 灰色の髪の男が最後まで言い終わらないうちに、黒髪の男はきっぱりと勧誘を拒否した。
 断られ、灰色の髪の男は不愉快そうな顔をした。かと思うと今度は、一瞬だが、馬鹿にしたような歪んだ笑みを漏らした。
「分からんな、お前ほどの力の持ち主が、人に使われる道を選ぶとは」
「いいえ、僕だって分からないですよ、人を虫けらとしか思っていない、兄さん、貴方その性格」
 言いながら不適な笑みを浮かべた黒髪の男を、灰色の髪の男は憎々しげに睨み付けながら言った。
「虫けらを虫けらと感じるのは、単なる認識だ」
 黒髪の男は、呆れたといわんばかりにため息を吐く。
「はぁ、つまり、小さなことを気にかける、うじうじした兄さんあなたを蛆虫だと感じるのもまた、単純に認識ですね」
 黒髪の男に「兄さん」と呼ばれた灰色の髪の男は、カッと目を見開いた。そして憤怒の形相で立ち上がり叫ぶ。
「蛆虫! ああああ! 口は災いの元だぞギン! この私を蛆虫呼ばわりしたこと、必ず後悔することになるだろう!」
 言い終わるやいなや、男の周りにいた黒スーツの男たちが動き出す。
 丈夫な石の館がぐらりと揺れた。
 かと思うと突然現れたるは異形の物共。大小さまざまな、黒く不恰好なそれらは、一斉にギンと呼ばれた黒髪の男に襲い掛かる。
 ギンは表情を引き締め、左手をさっと床に突いた。すると、ゆらゆら揺れる炎のような漆黒の影が、床から一斉に涌いて出てきた。それはギンに纏わり付いているようだったが、次の瞬間、異形の物共に巻きつき絡まりそれらを捕らえた。
 影に締め付けられた異形の物共は低く響くおぞましい叫び声を上げ、ついには弾ける様に消えた。
 それは一瞬のうちに起こったことだった。
 ギンは息をつき、辺りを見回す。黒スーツの男たちも影に捕らえられ、うなだれ、怯えていた。だが、そこに灰色の髪の男の姿は既になかった。
 ギンは悔しそうに唇を噛む。
「また逃げられたな……黒幕に」

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(二)

 夏が短いその国の、レンガや石やモルタルで固められた町並みの『アルバルンツ・ストリート』 
 その二〇二番地『メリンツハイツ』三号室から、今日も少女の悲鳴が聞こえてきた。
「キャー! また散らかってる!」
 雑踏の中、停車した辻馬車から出てきた一人の紳士は、おもわず微笑を漏らした。
「また苛めているな」
 紳士は悲鳴が聞こえてきた『メリンツハイツ』三号室の戸を叩く。

***

 客であるその紳士は、上等なソファに腰掛けて今度は苦笑を漏らす。
「まったく、ひどい有様だな」
 帽子を脱ぎ上着を脱いだその紳士は落ち着いた物腰で、だが年はまだ、やっと三十を越したところだった。その精悍な顔つきに丈夫な体躯は彼の職業をありありと示している。
「ああ、ごめんなさいストルーム刑事さん。すぐにお茶を用意しますから」
 と、少女が、ひどく散らかった部屋を泣き顔で片付けながら、申し訳なさそうに言った。
「いいや、ノノリちゃん。お茶なんかはいいんだ、それよりギンを呼んでもらえないか?」
「あっ、はい、すぐに!」
 一つ頷いて、ノノリと呼ばれた少女はパタパタと足音をたて、隣の部屋へと消えていった。
 少女と言ったが、もう少女じゃないかもしれない。丸顔で少したれ目の大きな瞳が彼女に幼い印象を与えているのだが、襟ぐりの大きく開いた女性らしいデザインの服を着たそのシルエットは十分大人の女性だ。
「これはこれは、ストルーム刑事!」
 上機嫌な声を出し現れたのは、待ち人のギン。
 ストルーム刑事は立ち上がり、挨拶もそこそこにギンに注意をした。
「あまりノノリちゃんを苛めるんじゃないよ」
 ギンに手で促され刑事はまたソファに腰掛ける。ギンも傍にあった椅子に腰掛けた。
「ノノリは泣き顔が可愛いんだよ」
 と、ギンが嬉しそうにそう言う。
 品のいい調度品が並べられたこの部屋が散らかっているのは、ギンがノノリを困らせたいがためだった。
「君ね、そのうち本当に嫌われてしまって、泣くことになっても知らないからね」
 ストルーム刑事はまるで子供に言い聞かせるように言った。
「それはまったく困る!」
 そう言ってギンは、また泣きそうになりながら部屋を片付けているノノリを手招きした。
「ノノリ、片付けは後でいいからこっちへおいで」
「はい!」
 呼ばれたのが嬉しいのか、ノノリは表情をパッと明るくした。そして、
「ちょっと待っててくださいね、お茶を淹れてきますから!」
 そう言って、軽やかな足取りで部屋を出て行った。
「さて」
 ストルーム刑事は姿勢をただし、話を切り出す。
「お話を聞いていただきましょうか? 悪魔召喚師《デビルサマナー》専門の探偵さん」
 ギンは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
 この世界には、悪魔召喚師《デビルサマナー》と呼ばれる、その名の通り悪魔を召喚する力を有するもの達がいる。
 そして彼ら悪魔召喚師が係わる事件を専門に請け負うのもまた、同じ悪魔召喚師でもある悪魔召喚師専門の探偵である。
 つまりは、刑事の目の前にいるこのギンも悪魔召喚師であった。
 ストルーム刑事は懐から、一枚の紙切れを取り出しギンに手渡す。
 紙を広げ、それに目を通したギンはニヤリと笑った。
「これはまた!」
 その少し破れた紙切れには、こんな印刷がしてあった。

 ――神の真似事しませんか?――

「神とはどういう意味かな?」
 ギンは紙切れを掲げて眺めながら疑問を口にした。
 ストルーム刑事が答える。
「神は神だよ。どの神かは知らないが、大前提として全知全能である神のことだよ」
「真似てどうする?」
「究極の道楽さ」
 ストルーム刑事が答えると、ギンが一瞬、笑みを漏らした。
「なるほどね、で?」
「警察に訴えてきたのは、とある貴族婦人。息子が妙な秘密結社に出入りしていると」
「よくあることじゃないか」
「そこに犯罪が潜んでいるのもまた、よくあることだよ」
「道理だね。さっ、進めて」
 ストルーム刑事は首肯する。
「うん。でね、その婦人が持ってきたのがその広告なんだよ。息子の部屋にあったそうでね。で、まあ、その婦人の話を聞いてみると、なんとも奇妙でね」
 ギンが眉をしかめた。
「奇妙とは?」
「また、その秘密結社、年会費がバカにならないのだが、まあ、婦人が気にしているのはそのようなことではなく、息子の態度が横柄になったことと、変死体だ」
 ギンの眉間のしわが深くなる。
「変死体?」
「そう、実は、ここ数ヶ月、その息子の友人知人、果てはご近所に親族の間で変死が相次いでいるのだよ」
「その事件と、この秘密結社が関係していると?」
 ギンの問いかけに、ストルーム刑事は頷いた。
「少なくとも婦人はそう考えていたのでね、ばかげたことだと思いながらも、息子の周辺を調べてみると確かにそうだ。彼の周りには必ず変死体がついて回る。これはさすがに捨て置けない。そこでだ、他に捜査のあてもないから我々は潜入捜査を試みてみたのだよ」
 ギンが愉快そうに笑った。
「はは、その神の真似事倶楽部に!」
「そう、アレはまったく気味の悪い会合だった。我々は新規の入会員ということでまずは、演説を聴かされたのさ」
 ギンは不適に笑んで、語りだした。
「芸術は神の創造を模倣した。人は神の真似をする望みを持つものだ。聡明で優秀な選ばれし星の下に生まれた諸君! 君たちは神に近づく権利を持っている! 愚鈍なものたちを下に見、操り、生も死さえもあなたの手の中」
 ストルーム刑事は、思わず手を叩いた。
「お見事! いや、感心だ。まさしくそのまま、その通り、君は神通力でも持っているのかい?」
「書いているよ」
 そう言ってギンは嬉しそうに広告をひらひらさせた。ストルーム刑事は自分でもそれと分かるくらいに、顔を赤くした。
「あ、まあ、決まり文句なのだろうね」
 ストルーム刑事は照れ隠しのセリフの後、気を取り直すように咳払いを一つし、続ける。
「我々はね、その中で数名の若者と接触を持った。そして、彼らの周辺も同じように調査してみると、また、変死体に出くわしてしまったのだよ」
「なるほどね。で、わざわざその話をこの僕に持ってくるということはつまり」
 含みを持たせたギンの言葉に、ストルーム刑事は眉間にしわを寄せ、深く頷いた。
「そう。変死体はどれも死因の特定が出来なかった。これは、悪魔の仕業としか思えなくてね」
 扉の開く音がした。ノノリがお茶を運んできたのだ。
「お待たせしました。さあ、どうぞ」
 テーブルに、温められた三客のティーカップが置かれ、琥珀色した熱い液体が注がれる。それは、かぐわしい香と湯気を放つ。
「うん、おいしいよ、ノノリ」
 ギンが笑顔を向けると、ノノリが柔らかな笑みを浮かべた。
 ストルーム刑事は、香高いお茶を一口すすり、慎重な口調で訊ねた。
「依頼を受けてもらえるかい? ギン」
 ギンはかすかに笑った。そして、今はテーブルに置かれた秘密結社の広告を、ピアノの鍵盤を弾くように、とんとんと叩いた。
「おそらく、こんなばかげた企画を打ち立てるのは我が異母兄であるモリス以外にいないだろうね」
 その言葉を聞き、ストルーム刑事は、己の心が重く沈んでいくのを感じていた。
「今回の事件も、彼が黒幕だというのかい?」
 そういった懸念は初めから持っていた。もし、そうであるならば、ギンに申し訳がないことだとストルー見刑事は思う。だが、これは仕事である以上、私情を挟んではいけないのだ。
 ストルーム刑事は勤めて冷静な声で聞いた。
「彼は、一体何が目的で、こんな大それた犯罪を起こし続けるのだろうね?」
 目を細めたギンは、やはりかすかに笑った。
「犯罪そのものが、彼の目的さ。彼はこう思っているんだよ。『最高の犯罪こそが、最高の芸術』だと」
 薄気味の悪い沈黙が満ちた。いや、薄気味悪く感じていたのは、刑事だけだったのかもしれない。
 ごくりと、ストルーム刑事が生唾を飲んだとき、ギンが唐突に声を立てて笑い出した。
「ははははは」
「ど、どうしたんだい?」
 ストルーム刑事が訊ねると、「すまない」とでも言っているようにギンは、片手を挙げて言った。
「いや、ストルーム刑事、君はどうしても顔に出るみたいだね、だが、僕もプロだよ、気にしてくれなくてもいい」
 指摘されて初めて気がついた。ポーカーフェイスでいられないなんてことは、刑事としてあるまじきことだ。こんなことはぜひとも、ギンと会話しているときだけであってほしいものだ、と、ストルーム刑事は思った。

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(三)

 ――さん……さん! ギンさん!

 ギンはハッとして目を覚ました。目を覚ましたはずなのに、ギンの頭と視界は、まだぼんやりとしているようだった。
「もう、ギンさん。そんなところで寝ていたら風邪を引きますよ」
 ノノリがソファの上で横になっていたギンを、母親のような口調で注意をした。ギンはのっそりと身を起こす。
「ところで、いつ、お仕事を始めるんですか?」
 ノノリに言われて、ギンは「ああ、そうだったと」思い出した。そうだ、依頼があったのだ。
 ふと見ると、ノノリが今は、やることがないのか手持ち無沙汰にしている。
「ノノリ」
 改まった調子で呼びかけると、ノノリはビクリと体を震わせた。そしてわざとらしく、仕事を探し出す。
「えっと、そうだ、お買い物行かなきゃ」
「待ちなさい、ノノリ」
 ノノリは動きを止め、泣き顔をギンに向けた。いや、まだ、涙は滲んではいない。
 ギンは言葉を、なお被せる。
「ノノリ、出来るときにやっておいたほうがいい」
「い、いや」
 言いながら、ノノリは駄々っ子のように頭を振った。
 ギンは、深いため息を吐いた。イヤだといっても仕方ない、ノノリにとって、これは大切なことなのだ。いや、全ての悪魔召喚師《デビルサマナー》にとって大切なこと……。
「何度も言っているけどね、ノノリ」
 ギンは、立ち上がりノノリのそばまで歩んでいく。歩きながら語る。
「悪魔召喚師の力と魂は、悪魔たちの大好物だ。すなわちだよ、悪魔は悪魔召喚師を喰らうために、地上に現れるのだ。実際、召喚と言ってはいるが、自分の力と魂を餌に悪魔を釣っているに他ならない」
 ギンはノノリのすぐ前に立った。
 ノノリはギンの顔を、やはり泣き出しそうな顔で見上げている。ギンは、ノノリの額に自分の額をくっつけ、やさしく言い聞かせる。
「だからね、悪魔を力で従わせることが出来なかった者は、文字通り悪魔に喰われるか、吸収されてしまうのだよ。分かるね、『力のコントロール』は、悪魔召喚師にとって、死活に係わる問題なのだよ」
 ノノリが拒んでいるのは力のコントロールの訓練そのもではなく、悪魔召喚師になりきってしまうことだ。
 ノノリは悪魔召喚師となることを恐れている。
 ギンはノノリのその気持ちをよく知っていた。だが、じゃあ、訓練は止めにしようとは言えない。
 これは運命。
 悪魔召喚師になるのは、運命。
 今はもう、その運命から逃れる術は死しかない。
 ギンはノノリの頭をなでながら、幼子に話しかけるように言った。
「ノノリ、君は幸運なんだよ。その目覚めは『夜明けの太陽』だったんだから」
「幸運……」
 つぶやいて俯いたノノリは、キッと顔を上げた。
「いいえ、違います、この力を持って生まれたときから、私は不幸です」
 この、悪魔を召喚する力。

 実は、悪魔召喚師には、なりたくてなるものではない。なってしまうのものなのである。
 その力は、努力次第で手に入るものではなく、生まれながらにして与えられた、才能とも素質とも呼ばれるもの。
 そんな悪魔召喚師の力の目覚には、二種類あって、一つは、突然、何かをきっかけにして目覚める突発型、そしてもう一つは力に薄々と気づき徐々に目覚めていく緩慢方である。
 緩慢方の場合は準備も心構えも出来る上、師匠などについて力のコントロールの仕方を教わることも可能である。そのため悪魔召喚師たちはこの目覚めを『夜明けの太陽』と呼んでいた。それは明け方の太陽がゆっくりと昇っていくのと同じように、ゆっくりと力が上昇していくからだった。
 反対に突発型の目覚めを悪魔召喚師たちは『爆発』と例えた。目覚めた瞬間、力はまさに爆発し、暴走しだすからだ。
 その、コントロール不能の暴走した強い力を嗅ぎつけ悪魔はやって来る。悪魔召喚師に喰らいつくために。
 そのため『爆発』型の悪魔召喚師が、この世に生存する確率はほぼ無に等しいであろうことは簡単に想像できる事実だ。
 だから、ギンは、「ノノリは幸運だ」と言った。いま、力のコントロールを学んでおけば、自分の力に見合わない悪魔を呼ばない限りは、その命は保障がされるのだから。  だが、ノノリはそうは思っていないようだ。
 ギンは問う。
「何故、不幸だと思う? ノノリ?」
 ノノリはきっぱりと言った。
「捨てられたからです」
 捨てられた。確かにノノリは捨てられていた。その力の目覚めを知り、恐れた家族に。  それを拾ったのはギンだ。
 そうだ、悪魔召喚師はいまだに誤解さることも多いのだ。確りと力さえコントロールできれば、危険でもなんでもないのだが……
 ギンはノノリを拾ったときのことを思い出しながらも、目を細めて目の前のノノリを見つめた。ノノリはまた俯き、細い体を小さく震わせながら、消えそうな声で言う。
「こんな力なければよかった。なければ、こんな思いしなくてすんだのに。……普通に、生きられたのに」
 ギンは、近づけていた顔を離し、ノノリが出す重苦しい空気を吹き飛ばすかのように、おどけた調子で言ってみせた。
「この力があるからこそ、それを使って悪事を働く奴が居る。そんな奴が居るから悪魔召喚師を専門に扱える商売も成り立つ。有難いだろ?」
 だが、上げたノノリの顔がいっそう曇る。
「ギンさんは、本当に、そう思っているの?」
 ギンは深く頷いた。
「ああ」
 そして、瞳を閉じ自分の胸に手を置き、しみじみと語る。
「何のとりえもない僕だけどね、この力だけは自慢できる。兄さえも嫉妬したこの力だけは」
「ギンさん。私は……」
 悲しそうな顔で、何かを訴えるかのようにギンの顔を見つめたノノリは、震える腕を自ら抱きしめ、下唇を噛み視線をそらし、言葉を続けた。
「そんなことを言うギンさんが、怖いです」
「ノノリ……」
 ギンは顔を背けたノノリを、引き寄せ抱きしめた。
 ギンとノノリの、この力に対する考え方、向き合い方は、あまりにも違いがありすぎる。だが、そんなこと、いや、どんな些細なことでもだ。ギンはノノリと仲違いしたいとは思わなかった。
 ギンはノノリの耳元でそっと、やさしく囁いた。
「僕のことが嫌いかい?」
 ノノリはギンの腕の中でふるふると頭を振った。
「私は……」

 ノノリが何かを言いかけたとき、ギンの視界が揺らいだ。

***

 ――さん……さん。ギンさん。

 ギンはハッとして目を覚ました。いつの間にか寝ていたようだ。ソファの上で寝ていたギンは、のっそりと身を起こす。
「ああ、ジュナ……」
 ギンは、自分を起こした目の前の女性の名を呼んだ。
 ジュナは、フリルのついた白いブラウスに青いロングスカートをはき、黒いタイツに青い靴、それから胸元にも青いリボンを結んだ落ち着いたファッションをしていた。そんな美しく長い黒髪を持ったジュナは、この探偵事務所の『現在の』秘書兼事務員だ。
 ジュナは大人しい顔をしているが決して地味ではなく、意志の強い眼差しを持ち、大人の女性らしく身だしなみとしての化粧を確りとしている美人だった。
 ギンは、ジュナの姿を認めて、「ああ、そうだった」と、思い出した。
 ジュナはギンの顔を覗き込み、心配気に聞いてくる。
「顔色が悪いですね、お客様が来ているのですが、話し、代わりに聞いておきましょうか?」
 ギンは夢を見ていたのだ。
「ギンさん?」
 ギンは呼ばれて我に返る。
「あっ、ああ、すまない、そうしてくれ」
 ギンはまたソファに横になった。小さなため息を吐き、瞳を閉じる。そして、小さな小さな声でポツリと言った。
「そうだ……」

 そうだ、ノノリはもう、いないのだった。

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