THE DEVIL OF MERINTS APARTMENT HOUSE

メリンツハイツの悪魔

第三章

(八)

 ジュナが言っていたように、ギンは確かに、毎日この教会に通いつめていた。
 それはストルーム刑事が推測したように敵をおびき出すためで、そして同時に懺悔のためだった。
 天窓から射し込む淡い光を仰ぐように、ギンは苦痛に満ちたその顔を上げたまま、一人語りだす。
「ごめん、ノノリ」
 かすれた声……その瞳にはおそらく、懐かしいノノリの顔が浮かんでいる。
「ノノリ、君は、これから華やかな少女時代を送るはずだったのに……
 本当なら、日に日に美しくなっていく時期なのに。
 ごめん……ノノリ」
 そう呟いた後、ギンはとうとう床に突っ伏した。肩が震えているのは泣いているせいかもしれない。
 しかし静かだ。
 誰もいない教会、誰も通らない路地、誰も住まないこの一帯。
 その無言《しじま》は、何よりもギンに苦痛を強いていた。
 そんなギンはただ、「ごめん……ごめん」と繰り返している。
 ああ、それを聞きつけたのかもしれない。矢庭に地が揺れて、窓が大きな音をたてて割れだし、それは現れたのだ。
 ギンはその異変には恐れることもなく顔を上げた。
 神の住まなくなった神の家に、突然に現れたその物体を、ギンはキッと睨みつけた。
 全長三メートルほどのそれは、ぶるぶると体を震わせた。その黒い体はまるで鉄のように鈍い光を放ち、足は蟹股ぎみに飛び出し、手は鞭のように長く細くしなっていた。そしてその鋭い眼差しはギンを捉える。それは、まごうことなき悪魔だった。
 悪魔は言った。
『罪は罪。だが、それは人が人であるため。
 お前の罪悪は、私の手でそそがれよう。
 私に従いなさい。望む物はすべて手に入れられる。
 死者さえも蘇る。
 お前の大切な少女も、ここに』
 気のない様子で悪魔の言葉を聞いていたギンは、その瞬間、思わず目を見開いて驚いた。そして思わず駆け出し叫ぶ。
「ノノリ!」
 そう、どういうわけかそこには、少女ノノリがいたのだ。少女は悪魔の隣に浮遊しながら、微笑を浮かべてギンを見つめていた。そして、
「ギンさん」
 あまりにも甘い声で少女はギンの名を呼んでしまった。
 それは傷を優しく撫でるかのように……乾いた大地に水が染み入るかのように、ギンを癒した。
「ノノリ」
 ギンは慈愛に満ちた眼差しで少女を見つめた。少女はふわりと着地してギンのそばまで歩んでくる。そして言った。
「ギンさん、寂しかった?」
 ギンは今にも泣き出しそうな顔で、こくりこくりと強く頷いた。そして、発作のように少女を抱きしめる。
「ああ、ノノリ。君も寂しかった?」
「うん」
 頷いたノノリは現れたときと同じくらい突然に姿を消した。
「ああ! ノノリ!」
 いつからいたのだろう、目の前に長い金の髪を持った、貴族らしい格好で貴族らしい顔の男が立っていた。
 その男は微笑んだ。そして穏やかに言った。
「彼の話を聞きなさい」
 ギンはノノリのせいで思考を乱されたのか、ただぼんやりと男を見つめる。
 先ほど見た悪魔が、ずいと前に進み出てきた。男が言った彼とは、どうやらこの悪魔のことのようだ。
 悪魔はまた、あの鋭いまなざしをギンに向け言う。
『あれはまだ幻。
 だが、私を崇拝すれば、本物もお前の前に現れる』
 ギンはその言葉で我に返ったのか、悪魔を睨み付けた。
「なるほど、これが悪魔の囁きか」
 金髪の男は首を振り、悲しそうな顔で言った。
「なぜ人は、悪魔の言葉は真実でないと決め付けるのでしょう?」
「モリスの手先か」
 ギンが睨みながらそう言うと、男は意外そうな顔をし、そしてすぐに笑みを漏らした。
「だとしたら、なんなのでしょう?」
 ギンはカッとして、男をよりいっそう強く睨み付け言った。
「だとしたら? だとしたらモリスのもとへ連れて行け!」
 男は声を立てて笑いだした。
「あははは。そんなに激さないでくださいよ。仮にモリス様のもとへ連れて行って、あなたはどうなさるおつもりですか?」
 ギンの苛立ちはいや増す。
「どうする? あいつは、ノノリを惨めな目にあわせた! 悪魔にノノリを吸収させた! そしてそのまま連れ去ったのだ! だから、決まっている! ノノリを取り戻して、あいつを」
「それはあなたが悪いのです!」
 ギンが言い終わらないうちに、男はそのギンを指差し叫んだ。そして男は聞き分けのない子を見るような、そんな目でギンを見つめて言う。
「あなたが、あの方を理解できなかったせいです。あの方はあなたを優秀な弟として、大切にお思いになっていらしたのですよ」
「そんな戯言は聞きたくない!」
 ギンは声を荒げてそう言ったが、男は意に介さないで続ける。
「だからこそ、あの方のあなたに対する失望は計り知れなかった。あれはあなたの目を覚まさせるために、心を鬼にしてなされたこと」
 ギンの鋭い視線に気がついた男は、それでも微笑みかけ言った。
「だが、もういいじゃないですか。あなたは気づかれた。自分の非力さに。だから、今こそ兄弟が力を合わせて、この世界を革命すべきなのですよ!」
 男は途中から興奮してきたようで、天を仰ぎ熱をこめてそう語った。
 それに反するように、ギンは、少し冷静さを取り戻した。ギンは軽く笑みを漏らし、いつもの丁寧な口調で言った。
「あなたはあの男に、世界の未来について、とてつもなく素晴らしいビジョンでも吹き込まれたようですね」
 男は、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ああ、ご理解いただけますか?」
「あの男は世紀の詭弁家ですよ?」
 ギンがそう言うと、男は一瞬だけ不愉快そうな表情をした。
「いいえ、あの方は、その言葉を必ず現実のものとなされるのです。そういった力をお持ちなのです。その証拠にホラ、あなたがそれをお認めになり、協力されるのならば、あなたの大切な少女は帰ってきます」
 男がそう言い終るやいなや、また少女ノノリはギンの前に姿を現した。少女はあの甘い声で言う。
「ギンさん、また会えて嬉しい」
 ギンはぞくりと身を震わせたが、男は感極まった様子で、少女とギンを交互に見ながら言った。
「ああ、少女も喜んでいる。あなたも喜ぶ、皆幸せです!」
 また少女ノノリは微笑み言った。
「ギンさん」
 ギンは思わず頭を両手で抱え、叫んだ。
「やめてくれ! やめてくれ! ノノリで遊ぶな!」
 男は困った顔をした。
「遊ぶ? 違います。あなたのためを思って、あなたが喜ぶと思って、ほら、ノノリさんも喜んでいるのに」
 ギンは頭を抱えたまま首を激しく振った。
「本物のノノリじゃないと意味がないんだよ!
 本物のノノリが今、悲しんでいたら意味がない!
 幻なんて、悲しんでいようが、笑っていようがどうでもいい!」
 男は苛立ち始めた。
「今は幻なだけでしょう! あの方がこの少女にも肉体を持たせてくれますよ!」
「違う、それはノノリじゃない!」
 ギンは男を睨み付けた。男もギンを睨み返した。
「あなたの言う本物とは、あの悪魔に吸収された者のことだというのなら、哀れです! アレにはもう意思はない、醜い姿をした悪魔です!」
「悪魔はお前たちが俺のために造ろうとしている物の方だ! それはノノリの姿をした悪魔だ! ああ! 俺はな! そんなものには騙されない!」
 ギンは床に右手をつき、悪魔を召喚した。
 予期していなかった男は、非常に驚いたようだった。
 ギンがいつも召喚している陽炎のように揺れる悪魔たちはあっという間に、男とその悪魔を捕らえた。
 ギンは男と悪魔を睨めつけたまま、つかつかと近付いていく。そして、男の顎をグイッと持ち上げ言った。
「さあ、吐け! モリスはどこにいる!」

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(九)

 ストルーム刑事は、寂れた教会から出てきたギンの後を黙ってつけていた。ジュナも、ちゃっかりとストルーム刑事の後ろにいる。
「あの、行かないのですか?」
 ジュナの問いかけに、ストルーム刑事は振り返りもせずに黙って頷いた。その視線はギンの姿からはずされることはない。
 実は、ストルーム刑事がギンに声をかけずにいるのには、二つの理由があるからだった。
 一つは、ギンが教会から見たこともない悪魔と見知らぬ金髪の男を連れて出てきたので、声をかけるのがためらわれたのと、もう一つは、今、声をかけても「帰れ」と、たった一言いわれておしまいだろうと、そう思ったからだった。
 ギンと男たちは暫く、湿気を多く含んだ薄暗い路地を進んでいた。そのうちにギンが大きな木製の門の前に立つ。そしてギンはその門を開けてくぐっていった。
 ストルーム刑事も警戒しながら後に続く。
 門をくぐると、また狭苦しい路地のような場所に出た。真っ直ぐに進むと道は突き当たりになっているようだ。そのレンガの壁の突き当りで、ギンたちは立ち止まった。
 ギンの操る影に捕らえられている金髪の男が、もごもごと口を動かしたのがストルーム刑事のいる場所からも見て取れた。ギンが頷き、幾つかのレンガを手で押した。すると壁が横にずれだして、そこに地下へと続く階段が現れたのだった。
 ギンたちは躊躇も無く階段を下っていく。ストルーム刑事も慌てて、だが、見つからないように慎重に駆け寄った。
 階段の奥はやけに暗くて、もうギンの背中は見えなくなっていた。ストルーム刑事はジュナに振り返る。そして言った。
「ここから先は、何が起こるかわからないから君は先に帰りなさい」
 ストルーム刑事がそういうと、ジュナは首を横に振って拒否を示した。
「ダメです。帰りなさい!」
 ストルーム刑事が少し強い口調でそう言うと、ジュナは少し俯き、背を向けて歩いていった。可哀想だがこれでよかったのだ。と、ストルーム刑事は思った。本当にこの先はどんなバケモノが潜んでいるとも知れないのだ。もし彼女の身に何かあったら……。
 そうだ、こうしないと、ギンが新しい事務員である彼女と極力、距離を置いている意味がない。自分とも前ほどには親しくしてくれなくなったのも、モリスがギンの近しい人に手を下す恐れがあるからなのだ。
 カツーーン……。
 階段はやけに足音が響いた。ストルーム刑事は、より慎重に階段を下っていく。階段の終わりは意外に早く来た。
 そこは広い広い石造の一室。
 ストルーム刑事はとっさに壁に背をつけ陰に潜んだ。
 壁に掛かる蝋燭がここの唯一の明かりだ。床には大きな魔法陣がある。よく見るとその魔法陣から白い煙が立っている。かとおもうと、その魔法陣からまるで戦車を思わすような四足の大きな悪魔が現れた。
 その悪魔の上にモリスが乗っていた。
 ギンもモリスの存在を確認したのだろう。
「モリス……! ノノリはどこだ!」
 そう叫んだ。
 モリスは、ほんの一瞬だけ笑みを見せて言った。
「んふふふふ。あせるなよギン。せっかくここまで来たのだから、ちゃんと案内するよ。それより出てきたらどうだい? ギンのお友達君」
 ハッとした様子のギンが、今来た階段を振り返り見た。
 見えているはずがないのに、勿論、目が合っているわけでもないのに、突き刺さりそうなモリスの視線を感じ、堪えかねたストルーム刑事は、仕方なく姿を現した。
「ストルーム刑事……」
 ギンが驚いた顔でそう呟いたとき、モリスがこう言った。
「もう一人いるだろう?」
 ギンはまた驚いた顔をした。だが、驚いたのはストルーム刑事も同じだった、振り返るとそこにジュナの姿があった。
「ジュナさん!」
 と、ストルーム刑事が驚きの声を上げたのとほぼ同時に、ギンが叫んだ。
「帰れ!」
 その叫び声に、ストルーム刑事は、ハッとして振り返る。ギンは鋭い眼差しでジュナとストルーム刑事を睨みつけていた。
 ストルーム刑事が、こんな風にギンに睨まれることは、勿論初めてのことだった、だから当然のように動揺したが、ギンが自分のことを思ってそういう態度をとっているのだということは分かっていたし、それ以上にストルーム刑事もギンのことが心配だった。
 ギンを一人にしてはいけない! ストルーム刑事は強くそう思い、ギンにこう語りかけた。
「ジュナさんは、ちゃんと帰らせよう。だがね、ギン。僕は君の親友ではなかったのか? あまりつれないことを言うなよ、どんな時だって、僕は君のために、君は僕のために。そうだろ?」
 ギンの険しい表情が少し緩んだように見えた。
「ずるいです! 親友だなんて! 私だってギンさんのことが心配なのに!」
 ジュナがそう叫んだ。ストルーム刑事は思わず後ろのジュナに振り返る。まさか、ジュナがこのようなことを言うとは思わなかったからだ。また、失恋でもしたような気持ちで、ストルーム刑事は、目に涙を溜めて必死な顔をしているジュナの説得を試みた。
「いや……ジュナさんね……今はそういう……」
「くくくく!」
 モリスが突然に笑い出した。振り返り見ると、ギンもモリスに視線をやっていた。ストルーム刑事に背を向けている状態のギンの顔はうかがい知ることは出来ないが、おそらく異母兄を冷ややかに睨みつけているのだろう。
 モリスは不気味な笑みを浮かべた。そして言った。
「せっかくだから二人に見てもらえばいい。お前が私に屈する様を」
 ああ、これが悪人だ。と、ストルーム刑事はモリスの言葉を聞いて心からそう思った。
 モリスは嬉しそうな笑みを漏らしながら両手を広げた。地が揺れだす。魔法陣から、また煙が涌いて出てくる。
 モリスは声も高らかに言った。
「さあ! 案内しよう! 少女のもとへ!」
 モリスの声が響く。その声が狂気じみているように感じ、ストルーム刑事は身を震わせた。

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(十)

 部屋中が白い煙に覆われていった。だが、物質が燃えて出る煙と違って、息苦しさはなかった。  暫くするとその煙は薄れていき、やがて風に吹かれて消えた。
 煙が無くなるとそこは荒野だった。
 薄く白い雲がたなびく水色の空。砂塵舞う乾いた風。黄色のゴツゴツとした岩、岩、岩……。
「ノノリ! ノノリはどこだ!」
 ギンが声を荒げている。
 また、モリスの笑い声が聞こえた。
「くくく……。そう慌てるなと言っているだろう? ギン」
「慌てているんじゃない! 苛立っているんだ!」
 ギンは本当に苛立だしげにそう言った。
 荒野は乾いてざらついた風が強く吹きすさんでいる。
 見回すと、モリスの部下の黒尽くめの男も数人いた。そして部下の数と同じくらいの悪魔もいる。だが、そこにノノリを吸収した悪魔の姿は確認できなかった。
「なにが、どうなっているの?」
 ストルーム刑事の背後でジュナが少し震えた声で、そう呟いた。無理もないだろう、突然湧き出した煙が晴れれば、いつの間にか別の場所に立っていたのだから。
 モリスはぽんと手を打った。
「さてさて、それじゃあ、君の大事な少女をここに呼び出すとしようか」
「分かっているよなモリス。こっちにも人質がいるということを」
 ギンが言った。
 人質とは勿論、ギンが捕らえた金髪の男と悪魔のことである。モリスはギンの言葉が理解が出来ないといった風に首を傾げた。
「人質? ギン、それは君が捕らえたのだから君のものだよ」
 ギンは何のリアクションもおこさなかった。
「モ、モリス様!」
 だが、さすがに仲間の金髪男も、モリスのその言葉は理解の範疇を超えていたようで、絶望混じりに敬愛する主の名を叫んだ。モリスは少し、不愉快そうに顔をゆがめた。
「うるさいよ、君は……」
 そう言ったあと、モリスはすぐに気を取り直し、両手を高く掲げて叫んだ。
「さあ! おいで! 可愛い悪魔!」
 次の瞬間、空から音もなく槍のように降ってきたのは、まさに、あのとき、ノノリを吸収した悪魔にしては小柄な悪魔だった。
 悪魔は全長二メートルほどで、顔は小さく、全体的に女性らしいフォルムをしている。そして、悪魔らしく硬そうな黒い体に、伸縮する長い手足。だが、あのときとは違い、体の、ぬめりはなかった。
「ノノリーー!」
 悪魔が現れた瞬間、ギンは叫びながらわき目も振らず駆け出した。
「ギンさん!」
 心配そうな声でそう叫びながら、ギンの後を追おうとしたジュナの腕をストルーム刑事は慌てて掴んだ。
「危ないまねはよしなさい! 心配なのは分かりますけどね、彼は専門家ですよ、大丈夫です」
 ストルーム刑事がそう言って聞かせても、ジュナは首を振った。
「でも、でも、今はギンさん取り乱しています!」
 確かにそうだ。だが、ギンにどうすることも出来ないようなことが起これば、何の力も持たないストルーム刑事やジュナには、それこそ無力だ。
「いいからここにいなさい!」
 ストルーム刑事はジュナを叱りつけた。ジュナはビクリと震えて大人しくなった。ストルーム刑事はそんなジュナの姿を確認して深く頷き、上着のうちポケットから小さな回転式銃を取り出した。
 何かあればこれで助太刀してやろうとストルーム刑事は思っていた。悪魔に銃が有効かどうかは分からないが……。
 だが、次に起こった事態はもう、ストルーム刑事が助太刀できるような生易しいものではなかった。
 モリスが高らかに笑い出す。大地は激しく揺れ、無数の悪魔が涌いて出てくる。
 ギンが雄叫びを上げると、ギンの強い力に惹かれてやってきた悪魔もそこに集いだす。その悪魔たちは互いに争い合う。
「さあ、可愛い悪魔よ、ギンの目を覚まさせてやれ!」
 モリスが言うとノノリを吸収した悪魔は、その手を鞭のようにしならせながらギンへと伸ばした。
 ギンは自らが召喚した陽炎のような悪魔で、ノノリを吸収した悪魔の腕を捕らえた。そしてギンは悪魔のノノリの腕を強く掴み引き寄せた。
「ノノリ! やっと掴まえた!」
 そう言って、ギンは悪魔を抱きしめた。
 抱きしめられた悪魔の方は激しく体を震わせて、ギンを振り払おうとしている。
「ノノリ! ノノリ! 僕だよ……ギンだ。聞こえているかい?」
 懸命にギンは呼びかけている。その姿があまりにも憐れでストルーム刑事の胸が詰まる。ジュナが、「ああ……どうして……」と繰り返している。
 本当にどうしてそこまでするのだろうか? それほどまでにギンはノノリのことを……。
 とうとうギンはノノリを吸収した悪魔に振り払われ、弾き飛ばされた。
「ギン!」
 ストルーム刑事は思わず叫び、駆け寄ろうとしたが、周囲で争っている悪魔たちに気圧されて、ためらってしまった。  地面に叩きつけられたギンは、ふらつきながら、それでもすぐさまに起き上がった。そして、切ない声で訴えるように、ノノリに話しかける。
「ノノリ……どうしてなんだよ? 僕の言葉が分からないのかい?」
 モリスは愉快そうに「くつくつ」と笑ってこう言った。
「面白いな……ギン」
 そしてモリスはふと気づく。ギンの変化に……。
「どうした? もしかして泣いているのか?」
 理解が出来ない。そういった声の調子でモリスが、たずねた。
 ギンは涙を隠すことはしなかった。隠さずに、真っ直ぐ前を向いて言った。
「ああ……泣いているよ……。それは何かおかしいことか?」
 モリスはまるでショックを受けたかのように、驚いた顔をした。ノノリを吸収した悪魔は人間のやり取りなどお構いなく、「シュー、シュー」と呼吸を繰り返しながら、再びギンを標的にその鞭のようにしなる腕を伸ばし始めた。
「ああ! ノノリ!」
 悪魔の腕は、ギンに従順な影のように揺らめく悪魔に、再び絡めとられた。捕まえられた悪魔のノノリは不服そうな声を上げる。
 そんなノノリを見つめていたギンの全身が、小刻みに震えだした。
「ノノリ、ノノリ、ノノリ、ノノリーー!」
 ギンが叫ぶと、その周囲が爆発したかのように突然盛り上がり、無数の悪魔たちが沸いて出てきた。
 おそらく暴走したギンの力に釣られて奴らはやってきたのだ!
 さすがに、ほんの一瞬だったがモリスも動揺した。そんなモリスの周囲に、黒尽くめの男たちが素早く集い、己の召喚する悪魔で主を餌食にしようとする何者にも服さない悪魔たちを撃退していった。
 だが、退かせても、退かせても、悪魔たちは次から次へとやってくる。さすがにここにいるのは危険だと判断したストルームは、ジュナの手をとり出来るだけ遠くの岩場に身を潜めた。
 それでも、ギンの様子だけはそこから確りと見ていた。
 ああ、どうにかしてやりたい。そう思うのだが、どうすることも出来ないもどかしさに、ストルーム刑事は苛立ちさえ感じていた。
 ギンの力に釣られてやってくる悪魔たちだったが、どういうわけか、そのギンには近づけずにいるようだった。
 困ったような顔をしてギンを見ていたモリスは、突然に声を立てて笑いだした。
「あはははは……。とうとう狂ったか、ギン! それもこれもこの私に従わず、この私を蛆虫呼ばわりしたせいだよ! 後悔するといい! そして愛おしくも醜い悪魔に殺されて死ぬといい!」
 モリスは片手を挙げ合図する。そして叫んだ。
「さあ、行け! ノノリ! その男を食い散らかしてやれ!」

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