蛇の王は言った
正しき人間よ お前にグライヤの王の座を譲ろう
お前とお前の仲間たちが 我らの住処を荒らさぬと誓えば この地は永遠に栄えるだろう
万が一 お前たちがその約束を破るのならば 我らは死の歌を歌うだろう
(古グライヤサーガ)より
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ドコッ! と、乾いた空に打撃音が響いた。
「ハ……ハナ様……?」
不意に攻撃を食らった男は状況が飲み込めず、不思議な顔をして相手のことを見つめた。ハナと呼ばれた少年は冷静な面持ちで再び男に打撃を加える。
「ぐっ!」
と、男は低くうめき、とうとう地に突っ伏した。
「悪いな、お前に恨みがあるわけじゃないのだ……少し休んで回復したら、すぐにビルに戻ってロウゲツに報告してほしい。ハナ様は家出なさいました……とな」
まだかすかに意識がある男の耳元でそう言ったハナは、おもむろに懐からハサミを取り出して己の長く伸びた絹のような髪を躊躇無くバッサリと切った……。
ハナの軽い髪は、陽光を反射し輝きながら風に舞い、散る。
すっかり短くなった不揃いの髪を手で触れ確認した後、少年ハナは振りかぶり思いっきりよくハサミを投げ捨てた。ハサミは銀に輝きながら、砂の海へと沈んでいった。
ハナは、蒼穹を見上げて満足げに微笑んだあと、倒れている男に背を向け、砂漠の上を颯爽と駆けていった……
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世界にたった一つの大陸は、名前を『グライヤ』といった。グライヤは国家大陸であり一人の王がその地を治めている。
そしてグライヤ唯一の王国の名前は『ジャパオ』と言った。
ジャパオでは、百年余り前に産業革命が起きて以後、急速に街が整備されて工場が乱立するようになり同時に街は鉄筋で守られ始めた。
街の成長に伴い生活も急激に便利になったのだが、相反するように大地は見る見ると荒れだしたのである。
そんなジャパオ王国で今一番の悩みの種といえば『サーペント』と呼ばれる巨大な蛇の被害である。
サーペントは、小さいものでも優に三メートルはあり、大きいものでは数十メートルにもなるそうだ。
そんなサーペントは古代から数年に一度出現し、大地を激しく揺らして川を氾濫させ、また雷を落とし、海を荒らす災害を起こしつづけてきたのだが、それでも頻出することは無かった。
だがどういうわけか、ここ数十年の間に奴らは頻繁にその姿を現すようになり、しかも人里にまで現れて町を荒らし、人々に危害を加えるようになっていた。
この状況を打開すべく十年前に国王が召集をかけたのが、先天的にサーペントを倒す能力を有する『サーペントスレイヤー』と呼ばれる者達だった。
そしてサーペントスレイヤーの証である『腕の痣』の有無を、出生届の際に同時に届け出ることが義務付けられた。
それは、少年ミズキが生まれた年だった。
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寂しい荒野の真ん中に鉄筋の壁で囲まれた要塞のようなビルが、ぽつん、と建っている。
そのビルは、一階部分が地中から頭を出しているだけで残りの階は地下にあり、その全貌を見ることは出来なかった。そして、常時いかつい数人の警備兵が門番をしているところからして、いかにも「ここでは、身分の高い人を預かっていますよ〜」という空気を醸し出していた。
その雰囲気を裏切らず、現在のビルの主人はジャパオ王国の王子で、名前をハナと言った。だがビル内での決定権は何故か教育係のロウゲツにある。
そのロウゲツは今、己の書斎で王都からの使者から手渡された書類に目を通していた。
「ロウゲツ様! いらっしゃいますか?」
書斎の扉の向こうから甲高い女性の声がした、若いメイドの声だ。
「ロウゲツ様! ロウゲツ様!」
名前を連呼されたロウゲツは、しかめ面をつくり面倒そうに椅子から腰を上げた。中にいる時もいない時も自分の書斎と寝室だけは必ず鍵をかける習慣のあるロウゲツは、ロックをはずして書斎の重い扉を開けた。
若いメイドは、全身を黒のスーツで包んでいるロウゲツの姿を認めて、安堵の表情を見せたが、すぐにその顔も不安に曇った。
「どうした」
ロウゲツの短い問いかけに、メイドはしどろもどろと答えた。
「はい。あの、兵士が……あの、さっき、ハナ様の日課の散歩に付き添って出かけていた兵士が、一人で戻ってきて……」
ロウゲツは目に見えて苛々し出して軽い舌打ちの後、低く落ち着いた声で吐き捨てるように言った。
「簡潔に話せ」
びくり、とメイドは痙攣し、泣き声で短く答えた。
「ハナ様が家出をなさいました」