【父親】
ロフェイスに行くには、乾いた砂漠を抜け、ロフェイス前ノ町の奥にある門をくぐらなければならない。
「はあ。はあ……はあ」
焼け付くように暑い。吸い込んだ空気は砂混じりでカラカラで、喉を、口中を痛めつける。
「はあ……はあはあ……」
ミズキの腰に帯びた剣はずしりと重い。物理的にも精神的にもだ……
(これは、サーペントを殺す物)
同じグライヤに住むもの同士、仲良く暮らせればいいのに。
そしてミズキは、ふと思う。サーペントには家族はいるのだろうか?
「はあ……はあ……はああ」
しかし息苦しい。前行くメイビはエンの白いスカーフをほおかぶり、さくさく歩いている。
何気なくメイビに見惚れていると、突然どこからとも無く雲が割れるような音。
ゴオオォオ……
「なんだ? 戦闘機か?」
エンは空高く轟く音の方角を目で追う。
ゴオオオオオオ。と輝く銀の機体が二機、ミズキ達の上空を通りすぎる。航空機を見送りエンは首をかしげた。
「どこ行くんだ? あいつら?」
遠く輝く機体をまぶしそうに見ながらリュスイは言った。
「『月明瑞穂乃原野』の方へ向かっているようだな」
「げつめいみずほのげんや?」
リュスイは、鳥打帽をかぶった息子の頭を撫でて微笑んだ。
「ああ。グライヤ最後の原野とも言われている『月明瑞穂乃原野』グライヤの北西に広がる雄大な原野だよ。そこには、希少な野生生物がたくさん生息している……たしか、重要自然保護区にも指定されていたと思うけど……」
……と、
ズゴゴゴゴゴ……
今度は突然の地響き。
「うわっと……今度はなんだ?」
エンが砂にとられた足を抜いて体勢を立て直したとき、
ザザザザアアアア……
数百メートル先。乾いた砂が高く盛り上がりエンは叫ぶ。
「っ! サーペント!」
砂漠の中から姿を現した、体長十五メートルほどの灰色の大柄なサーペントは、腹這いになりミズキ達を見ている。
ザッ! とミズキ以外の四人のサーペントスレイヤーは腰の剣に手をかける。
「っ! まっ……待って!」
ミズキは渇いた喉で何とか声を出し父の腕を掴んだ。
「どうした? ミズキ」
ミズキは、懸命に頭を振る。
「行っちゃダメだよ……あのサーペントは僕たちを威嚇していないもの。ねえ、遠回りでも他の道を探そうよ……」
「威嚇していない……?」
リュスイはサーペントを見やる。ミズキはコクリと頷いた。
「うん。蛇は、威嚇するとき鎌首をもたげるでしょう?」
「はっ! 蛇とサーペントを一緒にするなよ」
エンはミズキを小バカにするように言う。サーペントはと言うと動く気配も見せず、ただ、こちらの様子を伺っている。
「んー。なるほど」
リュスイは、サーペントから視線をはずしてミズキを見つめる。
「あのサーペントは、ミズキ達と戦うつもりは無いのだね?」
「おい! リュスイさん。あんた親ばかだったんだな。くそっ! バカバカしいぜ。そいつは、臆病なだけだ。サーペントと戦うのが怖いんだよ」
「エン!」
暴言をカイにたしなめられ、エンは悔しそうに下唇を噛んだ。
「グッ……くそっ! カイさんまで、この泣き虫をかばうのかよ。ちっ! いいよ! あいつは俺がヤル」
エンは勢いつけて走り出す。
「待ちなさい。エン!」
呼び止めに応じないエンを、リュスイとカイは追う。
「ふう」
ため息をついたメイビは、ミズキとすれ違いざま吐き捨てるように言った……
「弱虫」
「!」
ミズキは心臓が強く握り締められたような、圧迫感のある、苦しくて鈍い痛みを感じた。
メイビが走りながら剣を抜く。エンも剣を抜き、サーペントに斬りかかる。
「ウオオオオオオオオオ! くらえ! 長虫め!」
サーペントは、エンの剣が振り下ろされる前に上体を起こし体当たりをする。
「ぐはっ!」
エンは弾き飛ばされた。
「エン!」
苦痛に顔をゆがめながらも、起き上がろうとするエンの元へリュスイとカイが駆け寄っる。
「無茶はするなよ。エン。サーペントは、たった一人で相手できる相手じゃないよ。分かっているだろう?」
リュスイは、エンを宥めるように穏やかな口調で言った。
「だって……」
エンは、すねているようだ。
「また来るわよ」
三人に追いついたメイビは、サーペントを睨みつけながら注意を促す。
「くそっ!」
エンが飛び起きたとき、サーペントが突進してきた。四人は、すばやくサーペントの両脇に分かれて剣を構える。
「うおおおおおおお!」
血気盛んなエンがまず初めに斬りかかりに行く。メイビも飛び出す。
エンに気を取られていたサーペントの胴体に、メイビの剣がプスリと突き刺さった。
《グオオオオオオ》と、叫び、暴れるサーペントから抜くことの出来ない剣を握り締めたまま、メイビは、振り回される。リュスイは、そんなメイビを受け止め、支え、サーペントから剣を豪快に引き抜く。エンは、がむしゃらに剣を振り回し続け、カイは、サーペントの動きを冷静に観察しながら、そんなエンをサポートしていく。
ポタ……ポタ……
カラカラの砂漠に数滴の水分がしみこんでいく……ミズキは泣いていた。
何故、涙が出るのか、ミズキ本人には分からなかった……分からないが、悔しかった。
「クソオォォ!」
叫び、ミズキは駆け出す。
「エンのバカヤロー! 何で、戦意の無いやつに剣を向けるんだ!」
「なっ!」
当然のように、エンは、驚いた顔。隙を突いて、サーペントがエンに頭突きをしようと向かってきたところを、カイは、素早く、エンを抱えて飛び退った。
カイに助けられたエンは、ミズキを睨み付ける。そのエンが口を開く前に、ミズキが口を開いた……まだ、涙を流したまま。ひどく悔しそうに……
「エンが斬りかからなかったら、この戦いは起こらなかった!」
「なんだと!」
エンは、サーペントではなくミズキに向かっていく。
「やめなさい。エン!」
「ぐっ……」
リュスイに叱咤されて、エンは怒りをこらえて歯を食いしばった。
《グオオオオオオオオオオオ》サーペントが天に向かって吼える。
「起こってしまった争いは、避けるべくも無い」
カイがつぶやくように言う。今、目の前にいるサーペントは、ミズキたちを逃がしてやるつもりなどなさそうだ。
「ミズキ。安全なところまで非難しなさい」
リュスイはそう言って、サーペントを見やり、剣を構えた。
「リュスイ。あんたも無理してはいけない」
カイが、静かに言った。今は、ミズキ効果か、顔色もよく足元もしっかりしているが、彼の全身にはサーペントの毒が回っているのだ。
「大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように、リュスイは静かに言った。
サーペントは、そんなリュスイの喉元に噛み付こうと猛進してくる。リュスイは、サーペントを睨みつけ腰を落とし、低く構え、獲物が目前に迫ってきたところで高く飛び上がった。
サーペントは追って、首をもたげる。リュスイは、下降しながら、牙を剥くサーペントに切っ先を向け右目を突き刺し、すばやく剣を引き抜き着地した。
《ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!》右目を潰され、唸り、のた打ち回るサーペントの尾に、メイビは避けきれず弾かれる。
「あう!」
「メイビ!」
リュスイとエンがメイビに駆け寄ろうとするのを、本人が止めた。
「大丈夫よ。敵に集中して」
メイビは苦痛に顔をゆがめながら、何とか起き上がる。カイは、まだ無茶苦茶に暴れる危険なサーペントの尾に向かって駆け出し、鮮やかに、バッサリとその尾を斬りおとした。
《グゴアアアアアアア!》サーペントは、叫び、痛みのためか、高く飛び上がり、落下と同時に大きな音と地響きを起こし、砂煙を作る。
リュスイと、カイ、エンにメイビは、砂煙から粘膜を守るため、目を閉じ呼吸を止めた。砂煙が、少しおさまると、四人は薄目を開け、サーペントの影を確認する。
「いねぇ!」
エンが叫んだ。砂埃の中にいるはずのサーペントの姿が見えない。リュスイとカイは、少し後ろに下がって、注意深くサーペントの気配を探る。
「……!」
リュスイは、砂が不自然に盛り上がった箇所を注視する。
ムクムクムク……と、盛り上がりは、少しずつ移動していく。ミズキへ向かって。
「っ! ミズキ! 逃げなさい!」
大声の忠告の後、リュスイは腰のベルトに剣を戻し、駆け出す。
ザアアアアア! と、サーペントは、ミズキの五六十メートル先でその姿を現した。
「っ!」
サーペントとミズキの目が合う。サーペントの金の瞳が不気味に輝いた。
「ミズキー!」
父の呼ぶ声に、ミズキはハッとする。
「逃げなさい!」
父が忠告している。ミズキは、迫り来るサーペントを前に、何度か砂に足を取られながら背を向け走り出す。
《グオアアアアアアアアア!》と、サーペントの牙は、ミズキの背後に迫る。追いついたリュスイはミズキの手をとり、自らの懐に引き寄せた。
グワブ!
「ぐわあああああ!」
リュスイが叫んだ。その背中には、サーペントの牙が、深く突き刺さっている。
「父さん!」
サーペントは、リュスイの背から離れ、鎌首をもたげ、再びその背中に噛み付こうと襲い掛かる。
「グッ!」
リュスイは、すばやく剣を抜き放ち、傷ついた体でサーペントの喉元にその剣を深く突き刺した。
《ウゴオオオオオオオオオオオオオ!》喉に剣が刺さったまま、サーペントは、うめき、暴れ、砂漠に倒れる……
しばらく、砂の中でうごめいていたサーペントは、やがて、動かなくなった。
「はあはあはあ……あっ!」
荒い呼吸を繰り返しながら、リュスイは膝から崩れ落ちる。
「っ! 父さん!」
ミズキは、父の元へ慌てて駆け寄る。
「父さん! 父さん! しっかりして!」
カイと、エン、メイビも急いでそばにやってきた。
「リュスイさん! しっかりしろよ!」
エンの声に応えるかのように、リュスイは、ゆっくりと仰向けになる。そして、目を閉じて静かにつぶやいた。
「はあ。これが限界だな……」
「ふざけんな! 何が限界だよ! あんたはこんなところでくたばるような人間じゃないだろ!」
エンは、怒鳴りながら、リュスイの手をとり、起き上がらせようとする。
「やめろ。エン」
カイは、そんなエンの腕を掴み、とめた。
「だって!」
「嫌よ! 私、リュスイさんがいなくなったら困る……」
悲鳴にも近い声でメイビは言って、リュスイのそばで泣き崩れた。
リュスイは、ゆっくりと瞳を開け、息子の名を呼ぶ。
「……ミズキ……ミズキ……」
「父さん!」
父の顔を覗き込むミズキに、リュスイは手を伸ばした。
「ああ……もう目が……霞んで…ミズキ……もっと近くに」
「うっ……」
涙を浮かべ、ミズキは父に顔を近づけ、リュスイは、そんな息子を抱きしめる。
「ああ! ミズキ!」
リュスイは、目を閉じ、涙を流す。そして、抱きしめたままゆっくりミズキの感触を確かめた。それはミズキの全てを確りと自分の体に焼き付けるように。
「細い……体。柔らかい……髪に、ほっぺた……お日様の匂い……っ! ミズキ! ミズキ!」
「うっ……うっ……父さ……嫌だ。嫌だ! 確りして!」
リュスイは、瞳を閉じたまま微笑み、ミズキの髪を撫でる。
「ミズキ……もう、会えないのだと思っていた。サーペントの毒で死ぬ前に、会えて、抱きしめて、父親らしく、守ってやることまで出来た。夢じゃない。ミズキはここに、私の腕の中にいる!」
「父さん! 父さん!」
ミズキは、父の胸に顔を埋め泣きじゃくる。
「ああ。泣いているのか? ミズキ? ……セイラ……アカリ…………ローズ!」
最後の力を振り絞り、リュスイはミズキを強く抱きしめた。
「ミズキ……愛している。セイラもアカリもローズも……」
ミズキは、父の胸の中で、何度も頷く。それを感じ取ったのか、リュスイは、穏やかに笑った。
そして、また、神像のように静かな表情に戻る。
リュスイは、途切れる声で、ミズキに最後の言葉を残した。
「ミズキ……何が……前に、立ちはかろうと……大丈夫進みなさい……ミズキの信じる……正義を貫きなさい…………見守っている……」
するリ、と力の抜けたリュスイ腕は、ミズキの背中から滑り落ち乾いた砂漠を叩いた。
「!」
ゆっくりと、ミズキは父の胸から離れる。
「父さん?」
返事は無い。
「父さん!」
頬に触れる。が、やはり、反応は無い。
「父さん! いやだ! 一緒に帰ろうよ! お母さんも、お姉ちゃんも待ってるよ! みんなで一緒にやりたいことがいっぱいあるのだ! ねぇ! お父さん!」
いとしい息子の懇願も、もう聞いてやることは叶わない。抱きしめてやることも無い。笑うことも、泣くことも、何もない……
死が、実感として伴ったとき、強大な絶望感と喪失感がミズキを襲った。
「ああああああああああああ!」
狂ったように、頭を抱えて叫び、ミズキは空に向かって吼える。
「父さん! 父さん! 父さーーーーん!」
幼いミズキの叫び声は、悲しいほどに青く乾いた空に、ただただ吸い込まれていった。
【ロフェイス】
ロフェイス前ノ町。その名の通り、ロフェイス大図書館の前にある町。砂漠の中の地味な町。
それでも教会は、随分と大きく立派であった。灰色の石と固められた砂だけで出来たその町には不釣合いの繊細で華麗な白亜の教会。
緑の乏しいその教会の中庭を抜けて、一番奥の広間。採光用の大きな天窓のある、吹き抜けの鎮魂の間。そこに鎮座する巨大な月の女神像の両掌に、体を洗われ、髪も整えられ、白い死に装束に着替えさせられたリュスイが、穏やかな顔で横たわっている。
前に跪き、つぶやくようにレクイエムを歌っているのは、白い絹のドレスの女性祭司。
歌をやめ、女性祭司は、ゆっくりと立ち上がり緩やかな動作で、沈痛な面持ちで立ち並ぶミズキたちに向き直り、哀切の表情を浮かべ語りだす。
「通例にのっとり、彼。リュスイ様の霊送りの儀式は、明日、早朝に執り行います。この一晩リュスイ様は、破壊と再生、死と誕生、輪廻転生を司り、グライヤに我らと我らの仲間を創りし月の女神『マーディアナ』の胸に抱かれ、マーディアナの優しい声で、リュスイ様の全うされた人生の賛美歌をお聞きになるでしょう」
女性祭司は、それだけのことをゆったりと、歌うように話した後、数歩前進し、みなの顔を眺めた。
「旅のお疲れもありましょう。今はゆっくりとお体を休ませくださいませ……さあ、ゲストルームに案内いたしましょう」
「昼食の時間は過ぎていますのでお出しすることは叶いませんが、夕食の時間は、六時になります」
案内役の少女が、おっとりとした口調でそう説明し、ゲストルームを退出した。そのゲストルームは、色とりどりの幾何学模様の刺繍の絨毯が敷かれ大きな緑のソファが置かれたロビーを中心に、ドアの付いていない出入り口と、庭に通じるガラス窓が前後にあり、両サイドに茶色い木製のドアの付いた寝室が四つずつ。今、ミズキたちは、そのゲストルームのロビーにいる。
「随分時間が空いたな。この間に、ロフェイスに行くか?」
カイの提案に答えるものは無い。
少しして、メイビが口を開いた。
「私……今は、リュスイさんの近くにいたい……」
メイビらしくない、心細気で、か細い、消え入りそうな声。ミズキは、ロビーの端で、両膝に顔を埋めたままじっと座っている。エンは、窓際で庭を……いや、どこか遠くを見ている。
「しかたない。では、私ひとりで行ってくる……」
カイは、軍人らしいきびきびとした動作で回れ右をし、ロビーを後にした。
「カイさん」
さくさくと、地味だがにぎやかな町を眺めたりもせず目的地に向かって歩くカイの後を、エンが追ってくる。
「やっぱり、俺も行くよ」
カイは、エンが追いつくのを待って、また歩き出す。
「わあー」
会話も無く歩む二人の脇を、元気な子供たちが駆け抜ける。町の所々に畑がある。
「あっ! あそこ」
エンが前方を指差す。のどかな町に似つかわしくない、黒くて巨大な鉄の門。前に二人の男が立っている。おそらくあそこが、ロフェイスへの入り口なのであろう。二人はやや足を速めた。
近づくと、門の右側が水場になっているのが分かった。水は、ロフェイスの塀から出ているようで、大口を開けたサーペントが、蛇口になっている。
「何で、サーペントなんかモチーフにしてんだよ!」
エンが、怒りを隠さず地を蹴った。カイは、淡々と語る。
「古い絵画や彫刻には、よくサーペントが出てくる」
「きっと、知らなかったんだな昔のやつらは、サーペントの凶暴性を」
吐き捨てるように言って、エンは、門番に歩み寄った。
「オイ。ここ開けてくれないか」
「ロフェイスに御用なのですね。ボディーチェックをさせても貰いますが、かまいませんか?」
門番が、穏やかに言った。
「頼む」
カイが、ごく簡単に答えると、二人の門番は、それぞれ、カイと、エンを手早く調べる。
「よろしい。どうぞお通りください」
門番は言い、重い鉄門を開けた。
ロフェイスへの門をくぐり、
「……わ」
エンは、思わず声を漏らした。
「これは、素晴らしいな……」
カイも見惚れる。
緑豊かな、澄んだ水の流れる広い図書館の庭。オアシスのようだ。
赤いレンガを敷き詰めた、幅広の長いアプローチの右手側には、清水、湧き出る泉。この水が、ロフェイス前ノ町を潤しているのだろう。
ざわざわと、ざわめく木々。青葉をわたる風が、二人の訪問者の頬を撫でた。
「気持ちのいい庭園だな」
張り詰めていた気も緩む。だが、ふと、まったりしている場合じゃないということに思い至ったのか、カイは、いつもの引き締まった顔に戻り、図書館へ続くアプローチを足早に進む。
しばらく歩くと、白い壁。それがロフェイスの大図書館で、入り口の赤茶色の扉は、固く閉ざされたまま。その前に、一人の青年が、ベンチに腰掛け、ぶ厚い本を読んでいる。青年は、来訪者に気づき顔を上げ、カイたちに問いかける。
「ロフェイスの大図書館に入館されるのには、王族のものであるという証を持つもの、また、国王から、その資格を許されたものであるという証が必要であります。ございますか?」
「いや、ない。だが、入館が叶わなくとも、ロフェイスに住む碩学のご老人に会わせては貰えないだろうか?」
カイが答えると、青年は、残念そうに首を横に振った。
「彼は、このあまりにも広すぎる大図書館の、どこにいるとも知れません」
エンは、扉をコツコツと叩きながら、
「だったら、中に入れてくれよ。自分たちで探すから」
青年は、立ち上がり、エンのすぐ横にやってくる。
「それは出来ません。ただ、お時間をいただけるのなら、僕が彼を探してきましょう」
エンは、自分より背の高い青年を見上げた。
「本当か! なら、今すぐ行ってくれ!」
青年は、また残念そうに首を振る。
「ここで訪問者の受付をするのが、今日の僕の任務です。なので、今すぐには無理なのです。お時間をいただければ、と、言いました。明日から探しましても、運が悪ければ一ヶ月以上かかるかもしれませんよ」
「ちっ!」
エンは、舌打ちをし、カイに振り返った。
「どうするよ。運が悪けりゃ一ヶ月以上かかる。だとよ」
「では、お願いしよう。それが近道のようだからな。我々は、その間、やることが無いわけでもない。蛇王を倒すほかの方法を探すことも出来る」
そして、カイは、青年に会釈をし、踵を返した。
【惜別】
雲ひとつ無い碧空。柔らかな黄色い光に包まれ、ロフェイスは朝を迎える。
ロフェイス前ノ町の教会。鎮魂の間では、一人の男の霊送りの儀が催されようとしていた。
昨日とは違い、リュスイは、白く塗られた棺に納まり、盲目の月の女神の前に恭しく置かれていた。厳かな空気の中、女性祭司は口を開く。
「今、皆様に配りました冊子には、今日、この儀にて、口にしていただきたい詩が書かれています。まずは、初めに、リュスイ様に贈る賛美の詩。そして、鎮魂の詩。我らの女神マーディアナを讃える詩。我らが良き友、サーペントを讃える詩……」
「サーペントを讃える詩。だって?」
声を上げたのは、エンだった。
「ふざけんな! 何であんなものを讃えるんだ! 我らが良き友だって? あいつらの何を見てそう言えるんだ!」
困惑する女性祭司をよそに、エンは手にしている冊子を破り、床に投げつけ、ひどく悔しそうに叫んだ。
「リュスイさんはな! サーペントに殺されたんだ!」
そう言って、足音を響かせ鎮魂の間から走って去ったエンを追うものは誰もいない。
みな一様に、俯き暗い顔をしている。女性祭司は、悲哀の表情を浮かべ、
「そうでしたか……では、今回は特別、サーペントを讃える詩は省いて行ないましょう」
結局。エンは、戻ってこなかった。
リュスイは荼毘に付された。
遺骨は、ロフェイス前ノ町のこの教会に仮安置される。
女性祭司はミズキに言った。
「いつでもよいので、また、遺骨を家族と一緒に取りに来てくださいね」
ゲスト専用ロビーに戻ると、エンが憮然とした様子で、ソファに腰掛けていた。
メイビは、エンの前に立つ。
「リュスイさんを、見送ってあげなきゃ可哀相じゃない」
「かわいそう? 自分を殺したやつを讃える詩を歌われるのは、かわいそうじゃないってのか?」
「っ! うわああああああああん!」
メイビは突然崩れ落ち、大声で泣き出した。
「なっ……どうしたんだよ? オレ、そんなにひどいこと言ったか?」
エンは珍しく狼狽する。
エンだけでなく、カイも、ミズキも、メイビの突然の号泣の意味も分からず、泣いている女の子にかけてやる言葉も知らず、ただ、突っ立って、その光景を眺め続けた。
【新たな旅立ち】
ロフェイス前ノ町に来て二度目の朝を迎える。
ミズキは、疲れているのに夜になってもなかなか寝付けないでいた。静かな闇の中では、切なさが、いっそうこみ上げてくるからだ。短い間でも強く感じた父の優しさ。十年分の、愛情。
ミズキは、寝室の戸を開けロビーに出た。寝不足のはずなのに目も頭もさえている。
「あっ……」
淡い光の中、メイビは物憂げに中庭を眺めていた。メイビは振り返る。
ミズキは、なぜかうろたえる。胸が痛い。
「あの……大丈夫?」
何が、大丈夫なのか? だが、メイビに自分から話しかけたのは初めてで、心臓が口から飛び出してきそうなほど、高鳴っている。
「大丈夫よ……」
メイビは、ミズキの質問に答えた。
「いつまでも落ち込んでいたら、リュスイさん心配するでしょう?」
強がる笑顔を見せるメイビを見て、なぜか、ミズキは泣き出しそうになる。
「おはよう」
二人の前に、カイが現れた。
「おはよう」
と、メイビ。ミズキも丁寧に頭を下げながら朝の挨拶をする。
「おはようございます。カイさん」
最後に、エンがロビーに姿を現した。
「よし。みんな、揃っているな。朝飯食ったら、とっとと出発するぞ」
「また、始まるのね、サーペント退治の旅が……」
メイビの表情が、グッと、引き締まった。
エンは、思い出したように、ミズキに向き直り、挑むように睨み付けた。
「オイ。泣き虫。まさか、この期に及んで、まだ、サーペントと戦いたくないなんていわないよな?」
ミズキは、少し思い悩んだ後、首を横に何度か振った。
「やっぱり、僕は、サーペントと戦いたくない」>
カッと、なったエンは、ミズキの胸ぐらを片手で乱暴に掴んだ。
「エン! やめろ!」
カイが注意するが、エンはやめない。ミズキは、また、首を横に振った。
「僕は、戦う以外の解決方法を探したいんだ!」
エンの瞳に怒りの炎がわきあがる。
「ふざけやがって! あいつらには、感情なんてねぇ! ただの害獣だよ! 何が、戦う以外の解決方法だ! お前! リュスイさんはあいつらに殺されたんだぞ!」
「分かってるんだ! そんなこと! だけど、終わらないじゃないか! いつまでたってもサーペントとの戦いが!」
ミズキは、やはり瞳に涙をいっぱいにじませている。エンは、ミズキを強く突き飛ばし、ミズキを侮蔑の目で見下ろす。
「お前は、グライヤのために戦い続けた自分の父親を否定するんだな」
「なっ!」
ミズキの視界が一瞬真っ白になった。
「違う! 違うんだ! 僕は、父さんを否定するつもりなんて!」
ミズキは、立ち上がり、弁解する。
「そういうことだろうがよ!」
エンはミズキの胸ぐらを、今度は両手で掴み、殺気を放つ。ミズキの顔に恐怖が張り付く。
エンは、舌打ちした後、ミズキの頬を力いっぱい殴りつけた。
「っ!」
あまりの衝撃に、ミズキは声を出すことすら出来なかった。
「ミズキ!」
倒れこんでいるミズキに、カイは駆け寄る。
「確りしろ、ミズキ! エン! やりすぎだ!」
カイは、エンを強くたしなめるが、カイの手を借りて上体を起こしたミズキをまだ睨みつけている。
「お前みたいのが仲間にいると足手まといだ。泣き虫のくそガキは、田舎に帰ってママのおっぱいでも吸っとけ!」
悔しそうに下唇を噛んだミズキから目を逸らしエンは、ロビーの出口へ向かい壁を強かに叩く。
「くそが! なんで、お前なんかがリュスイさんの息子なんだよ! オレが……オレが息子ならよかった!」
エンは、少し泣き声混じりに叫んで、ロビーから去っていく。
エンのセリフは、ミズキの胸を強く締め付ける。
メイビも、エンの後を追うように、ゆっくりと、出口に向かう。
去り際、メイビは、ミズキにたった一言、言い放った……
「軽蔑するわ」
「!」
目の前が暗くなる……ミズキは、「軽蔑」という言葉を始めて聞いたが、それがどういう意味の言葉なのか、全身で知った。
メイビの、ミズキを見る目。表情。その口調。すべてが軽蔑の意味物語っていたのだから。
落ち込むミズキの肩にカイは、そっと手を置く。
「あいつらは、リュスイをあまりにも慕っている。ミズキにきつく当たるのも、リュスイを思うからだ、ミズキが悪いわけじゃない……」
今のミズキには、どんな慰めの言葉もあまり役には立たなかった。
ミズキは、弱々しい声で言う。
「カイさん……僕……サンシ村に帰ります」
カイは、ゆっくりと頷いた。
「そのほうがいいかもしれないな……家の近くまで、送って行ってやろう」
カイは、サンシ村に戻る途中、エンとメイビのことを教えてくれた。
「エンは、孤児院に育っている。
十の歳、サーペントスレイヤーの証を持つエンは、自由を望み、孤児院を抜け出した。もともと、天涯孤独、どうにでもなる。そう思ったが、その考えは甘かった。
そんな、非力な十歳の少年は、運よくリュスイに出会い、保護される。それ以来、リュスイの人柄にエンは心を開き、兄のようにも、父のようにも慕っていた。
メイビは、十歳になる前に、リュスイと出会っている。我々が、その日、たまたま訪れた町は、すでにサーペントの被害により荒野と化していた。
運がいいのか悪のか、傷だらけの幼い少女は、その町でたった一人の生き残りだった。リュスイは、メイビの傷口を適切に治療し、保護した。
メイビもエン同様、リュスイを心から慕うようになっていったのだ」
ミズキは、カイとサンシ村の一本杉の丘に立っていた。まさか、再びこの地を踏むことになるとは……あのカイとはじめて会った満月の夜、ミズキはここで激しくカイに怯えていたのに、今は安心して肩を並べていることも不思議だ。
「ここまででいいな?」
カイが聞く。
「ハイ」
返事して、ミズキは、カイから授かった剣を差し出した。
「返します。もう、僕には必要ないと思うから……」
カイは、黙って受け取り、腰にさしてある二本の剣のうちの一本をミズキに差し出す。
「ロフェイスへ向かう砂漠で、リュスイがサーペントにとどめをさした剣だ」
「えっ?」
ミズキは、カイの顔を見上げた。
「形見だ。とっておけ」
「でも……」
カイは、躊躇するミズキの手をとり、剣を握らせた。
「気にすることは無い。これは誰でもない、ミズキが……リュスイの息子が持つのが一番いいのだ」
恐る恐る形見の剣を両手で握ったミズキを見て、少し微笑んだカイは背を向け去ろうとする。
「カイさん! ごめんなさい……」
カイは、歩を止め、首だけで振り向き、
「進む道が違っただけだ……そうだろ?」
そう言って、再び歩き出した。ミズキは、瞳を閉じて、頷く。
サンシ村の懐かしい柔らかな風が駆け抜ける。ミズキは村を見渡す。遠くに、母たちがいる小さな家が見える。そして、切ないような、辛いような、悲しいような、心細いような表情になったかと思うと、父の形見の剣を強く抱きしめ、グッと、顔を引き締める。
「ごめんね。僕まだ、帰れないんだ……」
ミズキは、騒ぐ風と共に、サンシ村を後にした。